天使なブログ

ゲームだったり本だったり徒然なるままに書くブログ

こーろーすーぞー♪

ポプテは名曲多いでぃすね


花丸最終話の敵脇差を見てひらめいた人やっぱりいた模様
これだから審神者は(褒め言葉)


円盤の売り上げはそこそこ高いっぽいけど、3期やるなら8面実装しないと続き作れないでぃすよね、8面はよ




そーいえばネットで刀剣男士は昔の記憶を引きずってるから、現代っ子が軽々しく「氏ね」とか言ったら驚くんじゃないかって感じの書き込みをみたけど
忠臣蔵では田舎者と侮辱されたって理由で老人に斬りかかった若い武士もいるのに、今更そんなことで驚くとは思えない気もする
てゆーか、その場の感情で茶坊主棚ごと斬った元主とか、その場の感情で36人斬った元主とかを考えると、そんなことを目の前で口走った日にはポプ子みたいにその場でぶち切れて刃物振り回してる方が普通って考えてそーかも


てゆーか、名刀の主って名家の当主とか多そーだし、ふつーに宣戦布告でぃすよね
それを聞き流すかどうかは完全に相手の気持ち次第なんだけど、日本人は本当におとなしくなったよね
弥生時代なら全身なます斬りだもんね
発掘された弥生時代の骨が切り刻まれた跡があったらしいし、日本の刃物ってこの頃から切れ味いいんだね
平安時代は当時の武士もドン引きする貴族のえげつない謀略や暗殺合戦が開催中だったらしいし(仲のいい平家が負けて仲の悪い源氏が勝ったのって、源氏は内ゲバが激しすぎて敵対する貴族の誰かには必ずついてたから生き残れたと思う、てか源平合戦の真っ最中でも源氏は身内同士で殺し合いしてたし)
鎌倉時代は飲み屋に入ってきた野犬を持ってた矢で射掛けようとしたら隣の飲み屋に誤射してその場で抗争に発展したり(その他にも弓がやたらと出てくるのでこの頃のメジャーな武器だったのかな)
室町時代はなんとなくイラついたって理由で浮浪児を斬ったら、斬られた浮浪児が「もし刀を持っていたらただでは済まさなかったのに口惜しい」って言うし
戦国時代は言わずもがな
江戸時代初期くらいまでの日本人は基本的に瞬間湯沸かし器レベルに沸点がすごく低くてキレやすいって覚えておくとわかりやすいでぃすね
わりと最近まで凶暴だったの草はえるでぃすね


むやみに人を殺してはいけないとか、揉め事は裁判で解決とか、そーゆーのが一般的になったのが江戸時代って言われてるでぃすね
基本的に人間って自分の気が納まるまでは解決したって思えない生物でぃすから、江戸時代以前は報復合戦が絶えなかったらしいでぃすしおすし
だって自分の気を納めるために報復したら、相手も当然同じ事やってくるし、そうなればまた報復、のさらに報復、の報復の報復の報復の報復、ってきりがないよね
そのせいでいつまで経っても解決しない泥沼スパイラル、それに終止符を打ったのが江戸時代ってゆー
(江戸時代以前にもそういった法みたいなのはあったけど、末端まで行き届かなくて実質ほったらかしもあったっぽい
鎌倉時代の裁判記録が残ってたりするし
室町時代あたりから喧嘩両成敗って言葉が出てきたでぃすけど、喧嘩両成敗って、本来の意味は揉め事を殴り合いで解決しようとしたら両方処分って意味だし
報復を止めるための概念だったんでぃすよね
戦国時代に喧嘩両成敗の意味をちゃんと理解して法律として取り入れてたのは、今川と武田と長曾我部だけだったみたいでぃすけど、他はかなりてきとーな解釈だったりしたので、今日にいたる喧嘩両成敗への誤解はだいたいそのせい)
現代人が常識だと思ってることの多くは江戸時代に作られてるってゆー


平安時代は世界でも有数の400年大きな戦乱のない平和な国で、その200年後の室町時代に世界でも有数のめちゃくちゃ長い戦乱をし、その後の江戸時代には250年平和な国、それが日本って国らしいでぃす(なお君主の一族は一度も変わってない模様)


ちなみに切腹ってゆーのは裁判制度が出来る前の、「こいつやっていいからこれで報復合戦終わりにしよう」って報復の連鎖を止める約束事みたいなものだったみたいでぃすね
ただ、このやり方は双方の頭冷やしてからじゃないと話し合いにならない、つまり被害者が大量に出てからじゃないと成立しないことがあったり、揉め事起こした本人じゃなくても誰でも良いからって何の関係もない下人に切腹をやらせたって事例もあったりで、非効率なんでぃすよね
で、結局裁判制度が無難って線に落ち着いたっぽい
先に言った赤穂浪士も裁判で切腹を命じられたけど、将軍のお膝元である江戸で許可なく結構な規模で斬り合いやってるし、普通ならめちゃくちゃ重い罪になるけど、これ以上の報復合戦を防ぐためにあえて切腹にしたんじゃないかなって推測してみる
ひとつだけ付け加えると、この忠臣蔵、実は公式資料がほとんどないんでぃすよね
赤穂浪士を褒め称える文書はいくらでも出てくるけど、信用できるような資料が極端に少ない
残ってる文書のほとんどが、司馬遼太郎作品レベルに史実と大胆な虚構が混ざってどれが真実なのかわからないってゆー
最近テレビで忠臣蔵やらないのってそれが原因なのかなって思う