天使なブログ

ゲームだったり本だったり徒然なるままに書くブログ

そういえば

なんかネットで15手で城下町ボスを倒す方法あったでぃす

だいぶ楽しんだし、そろそろ効率に走ってもいいでぃすよね

 

やってみたら本当に15手でボス倒せたでぃす、すごーい

って、3口目の南海先生ドロップしたでぃす、先生イエーイ♪

 これで南海先生をつつきまくれるでぃすね~

 

 

関係ないけど、パンケーキとホットケーキって何が違うのかな、って思ってぐぐってみたんでぃすけど

 

パンケーキはフライパンなど鍋全般で焼いたケーキのことで、古代エジプトにはすでにあった歴史のあるケーキらしい

 

ホットケーキは明治17年にイギリス人が編集した本を日本の文部省が翻訳して出版した「百科全書」って本に「薄餅」って訳語で紹介されたのがホットケーキのはじまりらしいでぃす

この薄餅が大正12年に東京の日本橋のデパートの食堂でハットケーキって名前で初登場したって説があるっぽい

このとき出たハットケーキが甘かったので、日本人はハットケーキ=甘いものって常識ができたっぽい?

それがどこかで訛って昭和6年くらいに「ホットケーキ」と呼ばれるようになったみたいな?

 

簡単にまとめると、ホットケーキはパンケーキの一種って感じみたい

 

ついでに百科全書って何なのかな、って思ってぐぐってみた

元は18世紀に造られたフランスの百科事典みたい

 

日本だとその頃は徳川吉宗の時代かな

江戸初期の頃から新田ラッシュで経済がよくなって元禄文化とか出来たけど、農地に出来る土地が無くなって開発が行き詰まると景気が悪くなってたみたい

吉宗が享保の改革とかで財政をなんとかしたけど、一時しのぎの法令乱発でちょっち不評だったっぽい

 田沼意次重商主義して一時的に江戸の景気が持ち直したらしいけど、ちょうどその頃天災が重なっちゃったせいでその責任でやめさせられたっぽい

その後に松平定信儒教的な感じでやろーとしたけど、思想統制が厳しすぎて時の将軍とその父親と幕府内と庶民から不評だったっぽいし

 

(飢饉対策に各地に穀物の備蓄命じたりとか

旧里帰農令ってゆー、江戸に流入してた農民に資金を渡して帰農してもらうとかはよかったと思うんでぃすけどね、強制はしなかったらしいし

七分積金ってゆー制度も作って、この後江戸の経済ひどいことになるけど、これだけは厳格に運用されて明治政府が調べたときに170万両の余剰金が残ってたってゆーし

この余剰金で東京を近代化するときのインフラ整備ができたらしいし

人足寄場って職業訓練所も作ったりとか

ただ、蘭学の否定して海外より学問が遅れるようにしてしまったり

武士階級に借金の徳政令的なもの出しちゃったり、貨幣に使ってた良質の銀を低質に変えちゃって幕府財政悪化させちゃったり

海外の知識取り入れるのと経済にはあまり詳しくない感じなのはよくなかったのかも)

 

厳しかった理由として、当時農民層が力をつけてて、その力をそぐためだったんじゃないかって説もあるみたいだけど

 

そーいえば百科全書って、当時の進歩的な思想家たちで執筆されてて、当時の支配者層に弾圧を受けながら作られた本らしいでぃすね

この頃って庶民が力をつけはじめるとか世界的にそーゆー時期だったのかな~

 

でも意外と知られてないけど、松平定信が失脚した後も、幕府に残った松平派の人たちでこの政策続いてたっぽいんでぃすよね

松平派がみんな老齢を理由に引退しちゃった後に老中に任命されたのが水野忠成って人で

よく知らないって人も多いと思うので、代表的なやったことをあげると

天保の改革をした水野忠邦を幕府に登用した人ってゆーとわかりやすいかも?

あと、この人が執政してる間って、田沼意次も引くくらい賄賂政治がすごく横行してて、貨幣作りすぎて激しすぎなインフレ起こして経済を混乱させちゃって、将軍職を退いた徳川家斉が浪費しまくってたけど放置してたでぃす

 

うん、この頃の幕府って、ちょっとやばいでぃすよね

幕府の衰退ってこのあたりからはじまった感じするかも?

大御所時代とか皮肉られてるっぽいし