10周目の城下町で5口目の先生ゲッ刀したでぃす
もしかして南海先生に愛されてるんじゃないかと心配になってきたでぃす
ネットで江戸時代に脚気が流行った話を見かけたのでメモっておくでぃす
江戸時代に江戸で脚気が流行ったのでぃすけど、その原因が玄米から白米に変えたから、ってのは有名でぃすよね
江戸時代以前の平安、奈良時代は貴族の間だけで白米が食べられてたでぃす
理由は脱穀するのにものすごく手間がかかるので日常の食べ物に向かなかったからでぃす
でも江戸時代に精米技術が上がって
江戸中期の徳川吉宗の享保の改革で水田面積を3倍に増やしたゴールドラッシュならぬお米ラッシュが起きて、水車の登場で脱穀スピードもアップ
その結果、庶民にも白米が出回りやすくなったでぃす
さらにこの頃の江戸では一日三食って習慣ができてたでぃす
なんで一日三食って習慣が生まれたのかとゆーと、この頃に行灯が庶民に広まって夜更かしって習慣ができてたのでぃす
なので今まで以上に白米を大量に取りやすい環境になって、脚気もすごい勢いで流行ることになったわけでぃす
吉宗の改革の影響で江戸ではそこそこ貧乏な人でも白米を食べれるという日本で起こったことのない恵まれた環境になったので、かえって過去に類を見ない大きな被害になってしまったみたいでぃすね
徳川家の将軍の死因も3人は脚気らしいでぃすね
でもなんで江戸だけ?って疑問がふと湧いたので調べてみると
そもそもそんな食べ方をしてたのは江戸だけで(大坂もそうだったっぽい?)、他の地方では普通に玄米とか雑穀をバランスよくとってたみたいでぃす
当時の人もちょっと江戸を離れて生活するとあっという間に健康になってたらしいでぃす
なので当時の江戸は他の地方よりかなりビタミンB1不足の食事だったんじゃないかと推測されるでぃすね
ちなみにビタミンB1は米ぬかに多いと言われてるけど、他にもうなぎや豚肉や大豆にも多いと言われてるでぃすね
東京でうなぎや豚肉が主流なのはこの影響なのかな
徳川慶喜も豚肉好きだったらしくて脚気になってなかったらしいでぃすね
てゆーか、徳川慶喜の父親も牛肉好きだったらしいし、実家の水戸徳川家ではビタミンB1は十分取れてて脚気とは無縁だったんだろーなって
なんであの時代に肉食かってゆーと、毎年彦根藩から送られてたっぽい
彦根藩は幕府に陣太鼓に使う牛皮を毎年献上してて、江戸時代、公式に牛の屠殺が認められた唯一の藩だったらしいでぃす
そのとき出る余り物の牛肉を滋養強壮薬って名目で将軍とか各大名に送ってたっぽい
たしか江戸時代の将軍の食事って、好き嫌い厳禁で出されたものを残さず食べないといけないはずなので、肉を出されたら当然食べてるはずなんでぃすよね
当時の江戸では肉食禁止は建前じゃなくマジでやってたってことかな
てゆーか、江戸時代以降も明治時代では最小で年間6500人最大で1万5千人の死亡者が出て、大正時代で2万6千人も死者が出た病気でぃすからね
それ以降は減少傾向にあったけど、昭和でまたジャンクフードの食べ過ぎで死亡者が増えたりしたし、当時の江戸の人がビタミンB1への理解が弱かったのを悪いとはあながち言いにくい面もあるかな
ほかの地方もビタミンB1に気づいてたってわけじゃなくただ白米食べる余裕がなかったからだろーし
(まぁたまたまってゆーにはちょうどいい栄養の取り方だし、先人が考えた知恵だったのかもだけど)
ちなみに、にんにくとかたまねぎを一緒に食べると、ビタミンB1がより体に吸収しやすくなるらしいでぃすね
そして江戸時代の将軍家ではにんにくは食べてはいけない食材にされてて、たまねぎは江戸時代では観賞用植物扱いだったらしいでぃす
うん、 まぁそうなるでぃすよね