天使なブログ

ゲームだったり本だったり徒然なるままに書くブログ

これも日本人のサガか

2口目の江雪をドロップしたでぃす

 白山を求めて周回し続ける審神者は争いを望んでるのと同じなのかな

 

 

今日の視察は青江コンビと土佐トリオでぃすね

 

なんかピースしてるでぃすね、和睦かな?

青江のてぬぐい何かな~って思ったらうどん柄でぃすね

花丸といいどんだけうどん推しなのかな

持ってるのってキャベツかな?

 

キャベツって江戸前期に日本に輸入されたっぽいけど、そのときは観賞用だったっぽい

幕末には主に日本に来た外国人向けの食用に栽培されてたっぽい

明治になってから日本人向けの食用に本格栽培はじまったっぽい

 

 

で、おにぎりの話でぃすけど

おにぎりがいつから日本で食べられてるかってゆーと、縄文時代に大陸から米が伝来して、弥生時代の遺跡でおにぎりっぽい化石が見つかってるらしいので、今のところ弥生時代からじゃないかなって言われてるでぃす

っていっても、もち米を蒸して固めて焼かれたチマキっぽいし、おにぎりのモデルの可能性はあるかもだけど、これをおにぎりといっていいのかは個人的に微妙だと思ってるでぃす

 

「おにぎり」って名前は、奈良時代の「常陸国風土記」って文書に

「風俗説云握飯筑波之國」って書いてあるのが最古に書かれたものっぽい

現代語だと「人々の噂だと握飯筑波って国らしい」って感じ

 

握り飯の国ってなんなの?

 しかもこの後は食べる内容続くし

 なんで国の説明で食事と楽しかったって感想しかないんだろーか

 

ま~それはさておき、奈良時代には「握飯(にぎりいい)」って名前で呼ばれてて、それがおにぎりって名前の由来になったって話

こっちはちゃんと握った飯っぽいので、おにぎりといっていいのはこっちからじゃないかなって個人的に思ってる 

 

 ちなみに「おむすび」って名前は古事記からきてるっぽい

日本神話には「高御産巣日神」と「神産巣日神」って神がいて

 「産巣日」は「むすび」って読んでたっぽい

それとは別に、日本では山を神様に見立てて崇めてたんでぃすね

山の三角形と「産巣日」が結びついて、三角に握った握飯は「おむすび」って呼ばれるようになったっていう

 なので三角だと本当はおむすびってゆーのが正しいみたいでぃすね

 

 「おにぎり」は握り飯の総称で、「おむすび」は三角の握り飯限定みたいな感じ

 今はだいぶあいまいになっちゃってる感じ

 ま~他にも説はあるみたいで、これが絶対合ってるかわかんないけど

それに「おむすび」って名前がメジャーなのって出雲地方くらいみたいだし、これを限定的な地域の呼び方とみるか、日本神話発祥の地の名前だから無視できないとみるか、難しいでぃすよね

 

おにぎりも地方によって形が違うんでぃすよね

だいたいの目安としては

北海道は三角と太鼓型が混在、東北は太鼓型、関東は三角形で、中部は丸形、関西は俵型、中国四国九州は三角と俵が混在、沖縄は三角と丸混在っぽい

ちなみに三角と俵の境界線は関ケ原付近っぽい

なんだかとっても歴史の流れ感じるっぽい

でも今はコンビニのおにぎりの影響か、三角以外のおにぎりは廃れかけてるみたいでぃすけどね

 

前に出てた桜餅も関東と関西で違うってコメント出てたでぃすね

たぶんこの視察では関東の風習に統一してるんだろ~なって推測してみたり

 

おにぎりに初めて海苔をまいたのは昭和5年の神戸沖で行われた観艦式っぽい

日本人がおにぎりに海苔巻きし始めてまだ100年も経ってないっていう衝撃の事実っぽい

(海軍だしサンドイッチあたりを参考にしたのかな?)

 

今みたいな四角い形状の海苔が作られたのは、江戸時代後期の元禄って言われてるでぃすね 

なのでおにぎりに海苔巻いてたのは元禄から、って勘違いしてる人も多いみたいだけど、昭和5年の観艦式以前におにぎりに海苔をまいたって記述のある文書は確認されてないっぽいので、眉唾ものかなって思ってるでぃす

 

梅干しが最初におにぎりに入れられたのは鎌倉時代らしいでぃすね

承久の乱で、鎌倉幕府側の武士に兵糧として梅干入りのおにぎりが配られて、それがのちに全国におにぎりには梅干しって概念を広めたっぽい

この時期にやっともち米じゃなくうるち米が使われるよーになって、今のおにぎりの完成形に近い感じ


 その後の戦国時代ではご飯炊くときに菜を混ぜた、菜入りおにぎりが戦場で大ブームになったっぽい

そうして菜入りおにぎりが戦国時代に一気に日本中に広がっていったっぽい

 

 おにぎりとゆーか白米を全国に普及させるきっかけを作ったのは実は豊臣秀吉なんでぃすよね

天下統一の後に、病気に強いけど生産量の少ない黒米や赤米の生産をやめさせて、病気に弱いけど生産量の多い白米の生産を増やさせて、今までは貴族とか限られた人たちしか食べられなかった白米を畿内で一般的なものにしたんでぃすよね 

本当は全国に広めていこうとしてたけど、豊臣政権がなくなって、徳川が関東で白米を普及させて一般的なものにして、やがて全国に広がったみたいな

 

 なんか歴史調べてると、大抵秀吉が立ちふさがってくるでぃすよね

また秀吉かって気持ちになるかも

ま~天下を統一するってそーゆーことなんだろーけど

 

話ずれたけど、江戸時代になってから、おにぎりの形態がだいぶ変わっちゃうでぃすね

今までは戦場で配られたりとか、家庭で作るものだったのが、観光先とか劇場とかいろんなとこで箱詰め状態で売られるようになっていくでぃす

これが今の弁当の原型でぃすね

関西のおにぎりが俵型なのは、関西では町人文化が栄えてて演劇が一般人中心に流行し、劇場の弁当が弁当に詰めやすいように俵型おにぎりになってたのが広まって一般的になったからって言われてるでぃすね

他の地域でも俵型が多い地域は江戸時代に演劇あるいは観光が盛んだったか、あるいはそーゆー場所に遠征することが多かった地域だと思うでぃす

江戸は100万都市だったけど、その人口の大半は武士で、武士の影響力が強くてそこまで町人文化が大きくなれなかったとも言えるでぃすね

元禄で町人文化が栄えたのも、大御所時代で引退した将軍が文化にお金をつぎ込んだので町人の影響力が大きくなり、相対的に武士の影響力が弱まった時期だからって面もありそう

その元禄文化が四角の海苔を作り出したと思うと、四角の海苔は武士の力が弱まった結果生まれた産物かも?

そう考えると、幕府の力が弱ってる幕末の時代の岡田以蔵の刀が四角の海苔を巻いて食べてるのはなんとも皮肉でぃすね

武市半平太の刀は米粒を取りこぼして、坂本龍馬の刀は米粒をぺろっと食べちゃってるってのもなんだか意味深な感じもするけど、きのせいかな

 

 

 ちなみに丸形のおにぎりは古事記では「握飯」って呼ばれてるっぽい

つまり古事記の時代のおにぎりが廃れることなく現代でも残ってる地域なんじゃないかなって

丸形が他の形のおにぎりの地域とかぶってることが多いのはそのせいじゃないかなって思ってる

 

太鼓型のおにぎりは、北海道とか東北とかは寒い地域なので囲炉裏で焼きやすい形ってことでそーなったっぽい

おにぎりに限らず寒い地域では食べ物は焼く前提で作られたものが多いっぽい

 

 おにぎりの話題が長くなってしまったでぃす、これも日本人のサガか