一期一振ドロップしたでぃす
鶴丸と鶯丸と蛍丸がドロップしたときはこのマップ丸しか出ないのかなって思いかけてたけど、一期も出るんでぃすね
今剣は出ないっぽいでぃすね
ネットで江戸時代の男女比がやばいって話題を見かけたので、なんとなく調べてみたった
まず男女比でぃすけど、江戸は参勤交代の影響で、人口の7割以上が武士ってゆーかなりいびつな都市で、ってのは前に書いた気がするけど
その大量の需要を目当てに全国から商人とか職人とか集まって、出稼ぎの男性の労働者も多かったっぽい
そのせいで男女比も2:1、つまり男性二人に対して女性一人しかいないってなっちゃって、女性が希少な存在になってたっぽい
よくネットでネタにされてるのはこれでぃすね
でもそれは最初のころだけで、年が経つごとにだんだん男女差がなくなっていって、江戸時代後半には男女比はだいたい同じくらいの普通の都市になってたっぽい
で、それとは別に、
江戸の人口が増えていくにつれて、大坂の人口が減少し続けてるんでぃすよね
江戸幕府ができた時点では大坂の人口が上で伸び率も同じくらいだけど、1750年以降は大坂が減少し続けて、逆に江戸の人口は変わらず増え続けてるっぽい
男女比は江戸も大坂も同じようにだんだん均一化されてるので関係ないと思われ
この時期から江戸の人口集中は始まってたのかなと思われ
この時期って何があったのかな、って思って調べてみたけど、徳川吉宗の亡くなった時期っぽい
吉宗は1745年に息子の家重に家督を継がせて引退してたんだけど、大御所として事実上実権にぎってたっぽい
で、正式に将軍が家重になって、家重が老中に抜擢したのがあの有名な田沼意次
田沼は悪化してた幕府の財政赤字をなんとかしよーとして経済対策を次々と打ち出していってたっぽい
たとえば株仲間とか
江戸幕府は当初は織田豊臣時代から継承した楽市楽座方式を採用してたけど
民間組織が流通を支配して幕府の脅威になるの恐れて規制しまくって
でも享保の改革で、規制するより幕府公認の組織化した方が効率的じゃね?って気づいて、幕府にお金を払うことで販売権の独占とかの特権を認めたのが株仲間っぽい
吉宗の時代からやってはいたけど、家重が将軍になって、田沼意次が老中になってからはもっと積極的にやるよーになったっぽい
ところで、いきなり江戸の男女比に戻るけど、
奉公人ってゆーのがあって、
最初は主君に奉仕する従者って意味だったんだけど、安土桃山~江戸時代では雇用関係にある雇われてる人って意味に変化したっぽい
で、その奉公人なんでぃすけど
江戸時代末期の江戸では、奉公人のかわりに雑業者、つまり専門業者にだんだん代わっていったっぽい
一方大坂は商家を中心に奉公人が多かったけど、女子奉公人が増加してたっぽい
欧州のメイドもそーでぃすけど、元々男性の多かった職業で急に女性が増えだす傾向って、男性がたくさん外に出て働き手が女性しかいなくなってる場合が多い気がする
つまり、大坂の男性は江戸に流入してたんじゃないかなって思ったり
田沼意次の政策って、幕府にお金を送る商人を露骨に贔屓する感じの政策だったので、それで江戸に行ったんじゃないかなって思ったり
江戸の増えた雑業者がそれなんじゃないかなって思ったり
享保の大飢饉で被害を受けた西日本に、田沼意次は幕府主導で大名に緊急で救援金渡したり、迅速に救援物資を送ったりもしてるし
そもそも吉宗は紀州藩だし、その部下だった田沼も西日本とつながりあってもおかしくないかなって
(ちなみに享保の大飢饉で亡くなった人を弔うために隅田川花火大会が始まったとか噂話あるっぽいけど、実は特に関係ないっぽい)
あと、みんな大好き水野忠邦さんは、独占は経済にイクナイってことで株仲間を解散させたけど
その時期には株仲間に所属してない新興商人がふつーにいたので株仲間はそんなに独占できてなかったり
それに株仲間は、お金の不払いとかの悪質な不正した人たちの情報を共有してて、そーゆー人たちを仲間内の商取引にいっさい参加させないってゆー、独自のルールで取り締まりやってたんでぃすよね
しかしそんなこと知らないで無計画に解散させちゃった結果、不正を行う悪質業者が横行して、誰も取り締まれない感じに
水野失脚後は株仲間復活したっぽいし
でも明治維新の後はまた解散して、今でもこの制度が残ってるのはお相撲の年寄制度だけっぽい