天使なブログ

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鶴丸手紙三通目でぃす

以下ネタバレ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 平頼綱やっちゃって、実権取り戻して、父親路線に回帰したけど、やっぱしなかなかうまくいかなかったっぽいでぃすね

 

たとえば引付の改革とかやったっぽいけど

引付は今でいう裁判所みたいなもので、頼綱倒した後の改革でそれを廃止して、全国の大量の裁判を全部貞時が一人で裁く、って無茶をしたけど、さすがに無理があったらしくて、引付を復活させたら御家人から不評だったっぽい

 

あと、このころは西日本を中心に貨幣文化に切り替わり始めた時期っぽくて、元寇の影響とさらに1293年の大地震に、よく異国の船がうろついてたので防衛費を上げないといけないのと重なって、財政的に苦しんでる中小御家人を救済するために、1297年に永仁の徳政令出したっぽい

これが日本で最初に出された徳政令っぽい

これに限らずだけど鎌倉時代って資料がほとんど残ってなくて、永仁の徳政令ってどういった内容だったのかほとんどわからないっぽい

東寺に伝わる「東寺百合文書」に3ヶ条が記録されてるだけっぽい

 その3ヶ条によると、徳政令で貸した側に文句言われるの予想してたのか、貸した側からの訴訟は一切受け付けないって内容になってるっぽい

その結果、貸し渋りが起こって、お金が借りれない人が続出したっぽい

 なのでお金を借りるときに「徳政文言」を入れるのが流行ったっぽい

よーは、徳政令の適用外にしますって契約にするって感じ

そーして形骸化しちゃったので、発令した次の年には売買した土地を無償で取り戻せるって一部の条項を残して廃止されたっぽい

 

 こんな感じで、国防路線はよかったけど、それ以外の失政がちょっとアレだったせいか、幕府内の貞時の影響力が弱くなっちゃって、他の人が政治仕切っちゃうよーになっちゃって、晩年はほとんどお飾り状態だったってゆーか

跡継いだ高時も、まだ9歳だった上に貞時の時点で立場低い状態だったのまで受け継がれちゃって、そのまま鎌倉幕府があんなことになっちゃった感じで

 

 歴代の鶴丸の主が望んでたのって何なのかよくわかんないけど

 驚きってゆーかトラブルない平穏な日常とかそんなのかな?

 グラブルコラボ見てなかったら、この二人称にも驚いてたかも