天使なブログ

ゲームだったり本だったり徒然なるままに書くブログ

うめうめ

今日は梅の話かも

 

日本の梅は、大陸渡来説と日本原産地説の2つあるっぽい

ちなみに日本原産地説は、台湾や日本の大分県と宮崎県に自生してた説らしいでぃすね

多くは大陸渡来説がとられてるっぽい

 

渡来したのは7世紀~8世紀の奈良時代っぽくて、751年の「懐風藻(かいふうそう)」に載ってる、梅の実を燻製させて作った「鳥梅(うばい)」が最古の記述っぽい
奈良時代では梅は上流階級の食べるお菓子扱いだったっぽい

1717年(享保2年)「貞丈雑記(ていじょうざっき)」では、梅は「菓子」って扱いだったって書かれてるっぽい?

万葉集では梅は118首読まれてて、桜の3倍あったっぽい

令和の元ネタになった歌にも梅が入ってるでぃすね

弥生時代にはすでに日本にあったって説もあるっぽい?)

 

梅干しの原型の梅の塩漬けが平安時代中期に文書に書かれたっぽい?

丹波康頼が書いた日本最古の医学書「医心方」の「食養編」では、梅は医薬品として使われてたっぽい

村上天皇が疫病にかかったとき、梅干しと昆布を入れたお茶を飲んで回復した記録があるっぽくて、これが元旦に飲む縁起物の「大福茶」って言われるよーになったっぽい?

申年だったので、申年の梅干しは特別な扱いになったっぽい?

 

 

鎌倉時代に書かれた「世俗立要集」で、「梅干ハ僧家ノ肴」、梅干しはお坊さんの酒のさかなになってたって書かれてたっぽい

鎌倉時代の大切な儀式のひとつで、元日から数日にわたり有力な御家人が将軍に対して椀飯を奉る「椀飯振」があったっぽい

献立は椀飯と打鮑・海月・梅干の3品に酢と塩を添えたもので、折敷に載せて出したっぽい

この「椀飯振」がのちの「大盤振舞(おおばんぶるまい)」の語源になったっぽい

 

室町時代は、梅干は食欲増やすお薬として、武士に使われたっぽい

室町後期の戦国時代では、戦の際に食べる野戦糧食の研究が各藩で行われてて、そーしてつくられた食べ物がいわゆる「兵糧丸」でぃすね

兵糧丸には梅干しが使われてたっぽい

 甲斐武田氏の自称元家臣の小幡景憲の書いた「甲州流秘書」の「忍術兵糧丸」では、寒ざらしの米、蕎麦粉、かつお節、鰻の白干、梅干しの果肉、赤松の木肌を混ぜてつくったっぽい

現代でゆーなら、梅エキス配合の粒状高カロリーサプリでぃすね

この戦国時代に、武士が戦で使う用として梅の木が一気に全国に広がっていったっぽい

梅の名所が日本各地にあるのはその名残っぽい

 

一般に普及したのは江戸時代からって言われてるっぽい

 うどんやそばの薬味に使われたっぽい

江戸中期には、町なかで梅干しが売られるようになって、梅干し売りが声をあげながら町を歩くのは冬の始まりを告げる風物詩だったっぽい

梅干しが紫蘇漬けされるよーになったのもこの頃で(それ以前は塩漬け)、梅を砂糖漬けにした甘露梅とか、多くの梅の漬け方がこの時代に生まれたっぽい

 

でも明治維新を境に、梅の人気が一気に下がったっぽい

文明開化で西欧の知識がもてはやされて江戸時代に流行ったものが古い扱いになったっぽい

 

でも、明治十年から二十年代にかけて全国的に流行したコレラ赤痢の予防・治療に梅ぼしが使われて、

明治から大正にかけて起こった日清、日露戦争やWW1でも、梅干しが重要な兵糧食になるって見直されたのもあって、和歌山県や全国各地に梅の木が再び増やされたっぽい

でもWW2で食糧不足でサツマイモ増産されて、そのあおりで梅がまた激減したっぽい

戦後、日本の復興が進んだ後に、梅の効用が再評価されて、梅の生産が増えたっぽい

 

 

しかしなんで梅がジャパニーズプラムなんだろーか

ひょっとすると、大陸では漢方として使われてるけど、日本では食用が多いから、馴染みのない漢方より、食品のほうが学名を考えた外国人の目に止まりやすかったからとかかな?

名前も当時の江戸の訛りの「ヌメ」って感じだし、江戸は梅の調理法が多かった地域っぽいし