ガンビアベイ改装するのカタパルトいるんでぃすね
またカタパルト待機組が増えてしまったでぃすね
千代金丸の手紙二通目届いたでぃす
以下ネタバレ
千代金丸は、琉球にあった北山って国の国王の攀安知(はんあんち)って人が持ってたっぽい
当時の琉球には、中山、北山、南山の三国があったっぽい
1416年に北山は中山に攻められたっぽい
北山の国王の居城の今帰仁城(なきじんぐすく)は琉球でも最大級にでかくて堅牢なお城だったので、北山は17騎くらいしか兵がいなかったのに、中山は数千の軍勢でも落とせなかったっぽい
なので中山は、北山の本部大原(もとぶてーはら)って人にお金を送って裏切らせて
本部大原は、北山の王に「こちらから攻撃に出て敵を追い払うので、王は表、私は裏を攻めましょう」って言って
それで攀安知が部下を引き連れて城を出て、中山の軍勢に誘われて深追いしちゃって、その間に今帰仁城から火の手があがって、それを見てあわてて攀安知が城に引き返したら、城門にいた本部大原に襲われたっぽい
攀安知は激おこで本部大原を返り討ちにしたけど、もうお城が落とされちゃってたのでどうしようもなくて、自刃したっぽい
この自刃のときに、攀安知は最初は千代金丸を使おうとしたっぽい
今帰仁城にある、大庭(うーみゃー)ってゆー祭祀の広場にある、御庭(うなー)脇の御嶽(うたき)って場所で、千代金丸で城の守護神である「カナヒヤブの霊石」を切った後に自分を切ろうとしたけど、
千代金丸は主の命を守る霊力が込められた刀だったので、霊石は切っても持ち主は傷つけなかったので、攀安知は千代金丸を志慶間(しげま)川に投げ捨てて、腰の小刀で自刃したって言われてるっぽい
その後に川から千代金丸は回収されて、中山の王の所有物になったっぽい
この後の1429年に南山が倒されて、三国を統一した中山の王の尚巴志が、初代の琉球国王になるわけだけど
ちなみに関ヶ原の戦いの後の1609年に、薩摩が徳川の許可を取ってから琉球を攻めたとき、最初に侵攻したのがこの今帰仁城っぽい
今帰仁城は琉球も重要視してたみたいで、このお城だけ北山監守って仕事作って身内を送って管理させてたっぽい
江戸時代でたとえるなら大坂城代みたいなものっぽい
ただ、そこまで重要な扱いされてたわりに、薩摩が攻めてきたときは守備兵みんな逃げ出してほとんど無人になってたらしいけど
なので侵略されたのに死んだの当時の北山監守だけってゆー、結果的に敵味方どっちも被害の少ない戦争になったってゆー
まぁ薩摩強いからね、しょうがないね