巴形の鍛刀イベ30日までっぽい
冬牡丹と寒牡丹って、別物っぽい
寒牡丹は、10月~1月くらいに自然に開花するけど
冬牡丹は、開花時期を人間の手で意図的に変えた品種で、本来3~4月に咲く春牡丹を温室で気温調節して春と錯覚させて開花させてから取り出すのが冬牡丹っぽい
なので、寒牡丹は葉っぱがほとんどなくて、冬牡丹は葉っぱがたくさんあるのが違いっぽい
寒牡丹が咲くかは自然まかせなので、気候によっては咲かない場合もあるっぽい
二季咲きなので、冬と春に咲くっぽいけど、冬に咲いちゃうと次の年の春に咲かなくなるっぽい
冬牡丹だと、寒さのおかげで春より花の持ちが長くて、二か月くらい咲いてるっぽい
でもそのまま外で植えてるとアレなので、藁で作った寒風除けで霜から守られてるっぽい
見やすいように少し前に傾けて植えてあるのも特徴っぽい
寒牡丹は自然に咲いてるので、花が真上を向いてるので、藁の傘があるとちょっち見ずらいかも
日本では7~8世紀の奈良時代に大陸から遣唐使か弘法大師が薬用植物として持って帰ってきたっぽい?
平安時代後期から各地の寺で栽培されるようになったっぽい
でも育てるのが大変だったので上流階級や富裕層向けの花になってたっぽい
牡丹の栽培が盛んになったのは、江戸時代の元禄時代って言われてるっぽい
徳川綱吉の時代でもあるでぃすね
元禄時代は、観葉植物の栽培がブームで、牡丹に限らず品種改良がたくさんされた時代でもあったっぽい
牡丹は近畿での栽培が多かったっぽい
ドイツ人だけどオランダの医師として鎖国中の日本にきたケンペルって人が、ヨーロッパに持ち帰った資料の中に牡丹も載ってたっぽい
それでヨーロッパで牡丹の需要ができて、幕末から明治にかけて日本の牡丹がヨーロッパに輸出されたっぽい
(ちなみにこの人が残した資料で書かれた「日本誌」のオランダ語版の付録論文を、
1801年(享和元年)に日本人が日本語に訳したもののタイトルが「鎖国論」で、それが江戸時代の政策が鎖国と呼ばれるようになったきっかけっていう)
1900年(明治33年)のパリ万博では日本の牡丹が出品されたっぽい
種からしか栽培できないので、高嶺の花とか言われてたっぽいけど
明治30年に、シャクヤクの接ぎ木で増やす方法が確立されて、大量生産しやすくなったっぽい
それまでは上流階級か富裕層じゃないと牡丹は手に入れられなかったっぽい
春のお彼岸に食べる「ぼたもち」は牡丹餅の略称で、春牡丹が由来っぽい
ちなみに秋のお彼岸の「おはぎ」は、お萩、いわゆる秋の七草の一つの「萩(はぎ)」が由来っぽい
和名の「牡丹」は、当時の大陸での名前の「牡丹」をそのまま使ったものっぽい
同じ時期に伝わった、当時の大陸での「牡」の発音は「ボウ」だったっぽい
なので、当時の日本でも牡丹のことを「ぼうたん」って呼んでたっぽい
それがいつの間にか省略されて「ぼたん」になってたっぽい
今でも俳句や短歌では牡丹は「ぼうたん」で4文字扱いっぽい
牡丹の名前の由来は、いろんな説あるけどこじつけみたいなのが多くて根拠が微妙な感じで、はっきりとはわかってないっぽい