今日はこどもの日でぃすね
そーいえば、こどもの日と端午の節句って、本来は別物っぽい
こどもの日は戦後作られた祝日で、
端午の節句は、「五節句」ってゆー奈良時代から使われてる季節の変わり目っぽい
昔の人はこれを使って畑にいつ種を植えるか決めてたので、農業的には重要だったっぽい
それが江戸時代に幕府が決めた公式の祝日になったっぽい
明治5年までは祝日として使われてたっぽい
それ以降は戦後まで祝日じゃなかったっぽい
なんでそれが同じ日になったかってゆーと、春ごろにやりたいってのと、祭日だとちまきとか柏餅とかのおいしいものが出るので、それならまとめてやろうずって感じだったっぽい
クリスマスが誕生日の子がクリスマスプレゼントと誕生日プレゼントまとめて渡されるみたいな発想でぃすね
よくあげられてる「鯉幟(こいのぼり)」だけど、あれって元は武家の「幟(のぼり)」だったらしいでぃすね
よく戦国時代とかで武士が腰に差してたり、神社や寺とかにあるあの旗っぽいのでぃすね
もともと武家では端午の節句に玄関に幟を飾る風習があったっぽいけど
江戸時代中期に商人が宣伝用に幟を使ったりするくらい幟が一般人にも使われるよーになって、ある町人が大陸の故事から鯉の形にしたものを掲げたらそれが好評で広まったっぽい
この風習は江戸を含む関東を中心に広まったけど、当時の上方(現在の近畿地方)には伝わってなかったっぽい
関東は歴史的に武士の影響が強いし、武士の幟が親しみやすいのも当然なのかも?
最初のこいのぼりは真鯉(まごい)って言われる黒い鯉が一匹だけだったっぽい
日本の在来種の鯉は黒くて、外来種の錦鯉(にしきごい)はまだ海外から輸入されてなかったっぽいので、鯉といえば黒いってのが常識だったっぽい
明治時代後半から大正時代くらいに、真鯉と緋鯉(ひごい)って赤い鯉の二匹が一対であげられてたっぽい
この緋鯉は男の子を表してて、真鯉は父親を表してるって感じだったっぽい
それが戦後の昭和30年代くらいにさらに小さい青鯉が追加されて
緋鯉が母親、青鯉が子供って変更されたっぽい
まさか緋鯉が女体化してたとは驚きでぃすね
時代を先取りしすぎたかも、冗談だけど
まーこんな感じで、こいのぼりは元々はただの真鯉で、家族を表すとかになったのは明治以降なんでぃすね
だからなんだって話かもだけど