ネットでE3はペデスタル作戦じゃまいかって予想が出てたけど
たしかに、運営のツイッターに夏の終わりに実装って書いてるし、
当時イギリス領だったマルタ総督府が計算したってゆー、マルタが枢軸国に全面降伏するかもしれないXデーが8月31日から9月7日だったってネットで書いてたので、日にちはだいたい合ってる気もするけど
それなら日本艦は特効とかないだろーから、E1とE2であまり制限かけなくてもいいのかな?
まぁ大発艦娘が必要とかの別の罠はあるかもだけど
ちなみにペデスタル(Pedestal)って、英語で台座って意味っぽい
西洋の映像作品とかでよく彫像とか花瓶とか載せてるあの謎の台座でぃすね
柱とか机の脚って意味もあるっぽいけど
「ped」は足首から下の足の部分って意味で
「stel」は置くものや立っているものみたいな意味っぽい
物を載せて支えるって意味から転じて、基礎とか根拠って意味にも使われるっぽい
今日は五月雨江の軽装だったでぃすね~
普通の恰好だと普通のイケメンになっちゃった感じ(喋ると一気に台無しになりそ~だけど)
足にペディキュア塗ってるでぃすね
そーいえばこれも同じ意味かな?
腰につけてるの矢立じゃね?ってネットで書いてたけど
キャラ的にそれっぽい感じでぃすね
元々は、武士が着る鎧の上から斜めに吊ってた、矢を入れる道具の「箙(えびら)」ってのがあって、矢を立てて入れるので、矢立って呼ばれてたっぽい
それが鎌倉時代に、武士が合戦場で書状とかを書く道具を入れるために、矢をいれた箙の底に、筆と墨(すみ)と硯(すずり)の入った小箱を入れるようになって、
それが「矢立の硯(すずり)」って呼ばれてたのでそれが語源っぽい
でも取り出しが不便だったのか、元寇のあった時期にはもう「矢立」って名前の別の入れ物で独立してたっぽい
ま~毎回何か書こうとするたびに、矢立に入ってる複数の矢を全部どかしては戻すを繰り返さないといけないでぃすもんね、めんどくさいよね
初期の矢立は檜扇の形で、上の蓋を横にずらすと筆と墨壺が入ってたっぽい
松尾芭蕉もこのタイプの矢立使ってたっぽい
弟子の小沢ト天が特注で作らせて、旅に出るときにプレゼントしたものっぽい
矢立がよっぽど気に入ったのか、「奥の細道」の冒頭で、
「行く春や鳥啼き魚の目は泪 これを矢立の初めとして 行く道なお進まず」
って句を詠んだくらいにはお気に入りっぽい
平安時代に日本で墨が量産されるようになって、それ以降墨を使った書物がすごく増えて、それが矢立の需要に繋がってたんだけど、矢立を庶民が使うようになったのは江戸時代からっぽい
1789年~1801年の江戸時代(寛政)で、墨壺と筆の筒を紐で結んだ「印籠(いんろう)矢立」ってのが庶民の間で流行したっぽくて、たぶん五月雨江がつけてるのもそれなのかな?
でもこれはこの時期だけの流行で、後はまた一体型に戻ったっぽいけど
庄屋では俵差のついた矢立、職人には物差のついた矢立、商人にはそろばんや秤に仕込んだ矢立、女性には簪に仕込んだ矢立、文武両道派の人には短銃矢立とかあったっぽい
日本は昔から識字率高いって言われてるけど、矢立みたいにどこでも筆記できる道具が身近にある環境だったのも関係ありそーな気もするかも
幕末には箱型の懐中矢立もあったっぽい
坂本龍馬の手紙も筆で書かれてるので、創作では西洋かぶれな人物にされがちだけど実際は矢立使ってたと思われ
幕末から明治の初めにかけては、外国人の収集家向けに、刀型、鉄砲型、笛太鼓型、三味線型、千両箱型とかの、ちょっと変った矢立が多く作られたっぽい
でも明治になって、鉛筆や万年筆やペンが普及し始めて、矢立は廃れていったっぽい
今だとほとんど使われてないけど、内閣の閣議では筆の署名されてるっぽいので、そこではまだ使われてるっぽい?