夏だからか、最近ネットで体臭とかのにおいの話題を見かけるよーになった気がするので、においの話を書いてみる
日本で最も古い、香りの記述は日本書紀っぽい
「香」ってゆーのが6世紀の飛鳥時代に大陸から渡来して
奈良時代に鑑真って僧が香の作り方を大陸から持ち帰ったっぽい
「香」は、奈良時代に仏前を清めて邪気を払うものとして、主に仏教徒が使ってたっぽい
まぁ奈良時代に沐浴の文化も輸入されたので(これも仏教文化の1つ)、それ以前の日本人は水浴びはしてたけど、入浴の習慣はなかったっぽいので、全員臭いのが常識なので、あえて触れるような話題でもなかったと思われ
だからなのか、大陸の影響が出てる日本書紀と違って、古事記ではにおいに関する話題がないんでぃすよね
唯一あるのが、黄泉の国からブチ切れた奥さんに追いかけられて逃げ帰ったイザナギが穢れを祓うために川で鼻を洗う、ってくらい
死臭を嗅ぐと穢れる、って考えからっぽいけど
でもこれってどっちかってゆーと疫病対策って感じで、においそのものが問題にされてる感じじゃないよーな
もしかすると、「におい」って概念自体がなかったのかもしれないでぃすね
じゃあ、「におい」って元々は何の意味なのかな?
って思っててきとーに調べてみた
におい、ってゆーと、今だといい匂いとか臭いとか、単純な鼻でのにおいだけの意味になりがちでぃすけど
奈良時代だと「におい」は、色が際立ってるとか、美しい様子って意味だったっぽい
「青丹(あおに)よし 奈良の都は 咲く花の 匂(にお)ふがごとく 今盛りなり」
って感じで、平城京の色が映えて見えるのを「匂ふ」って言葉で表現されたっぽい
古事記で「香山(かぐやま)」ってあるけど、あれはにおいじゃなく、美しい山って意味だったんじゃないかと思われ
平安時代になると、貴族が「空薫物(そらだきもの)」ってゆー、部屋や着物に香をたきしめるって風習が出来たっぽい
鎌倉時代は贅沢禁止の武士社会だったので、香りとかはあんまし期待できない感じ?
香道では、香りを「嗅ぐ」じゃなく「聞く」って言ってたっぽい
主に武士たちが好んでたらしくて、茶道、華道に並ぶものだったっぽい
江戸時代になると庶民も使うよーになって、江戸時代初期に作られたのが、現代でも仏壇や墓前に使われてるあの線香っぽい
で、江戸時代で体臭に気を使ってたといえば、歴代の将軍っぽい
毎日人前に立つお仕事だったので、体臭や口臭にはすごく気を使ってて、臭いの強い食べ物は食べない、とかの制限があったっぽい
日本で最初にラーメン食べたのは水戸光圀って言われてるけど、ラーメンって食べると全身に強いにおいがついちゃうから、将軍はあえて避けてたんだろーなって思うかも
史実の水戸光圀はちょっとやんちゃな人物だったっぽいので、そーゆーの気にしないって感じだったのかな
たしか銭湯ができたのも江戸時代だったよーな
それ以前は奈良時代からお寺に蒸し風呂の設備があって、庶民にも開放してたんだっけ
ちなみに、日本で最初の庶民に開放された浴場施設を作らせたのが聖徳太子っぽい
室町時代に足利義満が、浴場施設で大名達が他の人の衣服と間違えないよーに、脱いだ衣服を家紋入りの絹布に包んで、湯上りに絹布の上で着替えしたっぽくて
これがのちに風呂敷って呼ばれるよーになったとかなんとか
(まーそれ以前にも風呂敷と同じ役割のがあってそっちは平包って呼ばれてたっぽいけど)
江戸時代の銭湯は男女混浴だったけど、それが原因でとある大きな火事で逃げ遅れて犠牲者が多数出たので、水野忠邦が天保の改革で、男女別の浴室にしたり、時間制の入れ替えとかの決まりを作ったっぽい
(ま~実際にはその決まりはほとんど守られてなくて江戸時代はずっと混浴のままで、ちゃんと決まりが守られるよーになったのは明治になってからっぽいけど)
って銭湯の話にずれちゃったでぃすね
話を戻すけど
江戸時代中期の1763年(宝暦13年)に平賀源内が書いた「物類品隲」で、ランビキ(蘭引)って蒸留器を使って作った「薔薇露」って香水の作り方が載ってるっぽい
蘭引は諸説あるけど、16世紀に琉球に南方から技術が輸入されて、薩摩が琉球を攻めて、その後に蘭引の作り方がわかったっぽい?
(作りが大陸ともヨーロッパとも違う独特の形っぽいので、もしかすると日本独自の形なのかも?)
薩摩で焼酎を作るのに使われてたっぽいけど、後で江戸や京の都にも伝わって、それが香水作るのに使われたっぽい
ただ琉球を攻める以前から薩摩で焼酎は作られてたって説もあるので、はっきりしないっぽい
幕末から明治初期にかけて舶来の香水が知られるよーになって
明治5年に、「香水(においみず)」ってゆー、舶来の作り方の国産の香水が複数作られたっぽい
食品にも香料が使われるよーになったのは大正時代っぽい