台風どうなるかな
関係ないけど、弱さから出た優しさって優しさなの?って感じのコメントをネットで見かけたけど
そもそも優しさって何?って思ったので、てきとーに調べてみたけど
「何をして 身のいたづらに 老いぬらむ 年の思はむ ことぞやさしき」
現代風に訳すと
「何をしてこの身は老いてしまったのだろう
一緒に過ごしてきた年がそれをどう思うかと想像すると身が細る」
って感じの歌っぽい
この歌からもわかるかもだけど
「優しい」の語源は「やす(痩す)」で、意味は身がやせ細るような思い、ひけめを感じる、恥ずかしい、つつましい、って感じの形容詞だったっぽい
それを平安時代の貴族が、恥じらいや慎ましさを強調して使うよーになって、慎み深いとか、優美で上品とかの意味にも使われるよーになったっぽい
そして鎌倉時代に、自己主張が少ないってのが、他者を優先する健気で殊勝な態度って解釈されたっぽい(ソースは平家物語)
ま~考えてみれば鎌倉時代みたいな、バリバリの体育系上司だらけの武士社会で、自己主張少なくて言うこと聞く部下って使える人材扱いかもでぃすね
現在では主に「情のある、思いやりのある」って意味で使われるよーになったっぽい
原義の感じだと、あくまで個人の見た目とか気分の問題で、それが他者に対して何か利益があるかどうかって意味はないっぽい?
てゆーか年いってるとか、若いころよりは弱ってはいるわけだし、むしろ弱い方が原義に近いのかな
現在の解釈は鎌倉時代に近いのかな?
強さから生まれる優しさ、つまりパワーこそ優しさってことでぃすかね
なるほど、花丸で三日月が「優しいは強い」って言ってたのってそーゆー意味の可能性も(ナイナイ
ま~ぶっちゃけ現在だと西洋的な思想も入ってるし、原義とはだいぶ違うかもだけど
漢字の意味だけど
優は、「会意兼形声文字」って種類の文字で
会意文字は、意味のある漢字を2つ以上組み合わせて別の意味になる漢字のことで
たとえば、「日」と「月」って別の意味の漢字を組み合わせて「明」で、どちらとも別の意味の漢字にしたり、
同じ漢字の「木」を3つ組み合わせた「森」も会意文字っぽい
形声文字は、音を表わす文字と意味を表わす文字で構成された漢字のことで
たとえば、「紙」は、「糸」と「氏」の組み合わせた文字で
意味をあらわす文字が「糸」
音をあらわす文字が「氏(し)」
これで「紙(し)」って読むっぽい
似た音を表わす文字が入ってる場合もあって
「暑(しょ)」=「日」+「者(しょ)」
これはおそらく適当な文字がなかったから似たようなのを使ったかも?
「講(こう)」と「構(こう)」みたいに、同じ音なのに編(へん)が異なる形声文字もあるっぽい
会意兼形声文字は、この2つをさらに組み合わせた文字っぽい
人を横から見た象形文字が「亻(にんべん)」
「憂」の上部分は人間の頭部を強調して記号化したもので、
「心」は心臓の象形化で、
下の部分は、下向きの足を象形化したものっぽい
憂の原字では「心」がなくて、静かにしなやかな動きをする人の象形文字だったぽいけど、
後で「心」が付け加えられて、悲しんでる人の象形文字に変化したっぽい(これが介意文字)
さらに「亻(にんべん)」を付け加えられて、悲しんでる人に寄り添う人の象形化になったっぽい
(憂鬱って言葉があるよーに、憂だけでも「ゆう」って音があるので、形声文字)
それで優しいって意味になったっぽい?
劇場版花丸の雪ノ巻で、長義の横に清光が来たのも優の象形化っぽい気もするでぃすね
花丸本丸は優判定ってことをにおわせてるのかな?って個人的に思ったり
やすがいつから優しいって当て字に変わったのかはわからんけど
痩せるにマイナスイメージ、優しいにプラスイメージで、元は同じ文字なのに分化してしまった感じ
現代だと逆に痩せることがいいことで、優しいことが必ずしもプラスイメージにならないのは皮肉かも