次は7周目でぃすね
なんか肥前くんが大食いキャラ疑惑なのネットで見たけど
武士は昔から一日三食だったらしいし、通常の人よりはみんな食べるんじゃないかな
江戸で一般人が一日三食しだしたのは江戸時代中頃あたりで、全国に広がったのは明治以降って言われてるでぃすね
その前は朝夕の二食が常識だったみたいでぃすね
なんで武士だけ?って思ってぐぐってみると
鎌倉時代に大陸から禅宗って思想が入ってきて、その中に一日三食って考えが含まれてたみたいでぃすね
前に書いた記事でも言ったけど、日本の剣術の開祖の一人はお坊さん、ってくらい、日本の剣術と仏教は密接に繋がってるっぽい
昔の武士って幼い頃は教育のために寺でお勉強してたらしいし
なので武士を中心に根付いた習慣って感じでぃすね
その考えが入ってくるまでは肉体労働者でも一日二食だったらしいでぃす
っていっても一日三食が武士の間で根付いたのは戦国時代かららしいけど
それに一日三食って言っても、三食なのは合戦とかの特別なときだけだったらしいし
とうらぶの世界観だと出陣する人だけ三食になってそーでぃすね
弁当とかあるし
ま~でも世界設定が未来なわけだし、一日三食になっててもおかしくないけど
それこそ本丸差って感じ?
ただ、花丸で明け暮れ日記って歌があるじゃないでぃすか
あの中では朝と夕方以降だけ描かれてるでぃすよね
食事も夕餉のことしか書いてないし
あれってあの本丸の習慣も表してるのかなって
つまりあの本丸はたぶん一日二食なんじゃないかなって思ったり
あの中によもぎ餅食べて行儀が悪いって怒られる歌詞あるよね
花丸1期では安定って出陣多いじゃないでぃすか?
いつもは戦場でお弁当食べるけど、今日は一日ずっと本丸にいたのでおなかがすいてつい餅を取りすぎちゃった、って風にもとれるでぃすよね
ま~ただの考えすぎかもだけど
だいぶ話がずれたので戻すけど
なので元主が一日三食だったかが関係してきそーな感じ?
元主の岡田以蔵の父親は海岸防備のために足軽の身分をもらってお仕事してた人で、本人もその身分を受け継いでるっぽい
ってことは最低限の武士の知識くらいはありそう?
剣術学ぶのに江戸で生活してた時期があって、要人の護衛任務で結構江戸に滞在してたことも多かったらしいし、一日三食の習慣があってもおかしくないかも?
(なかったとしても、そーゆー習慣もあるって理解はしてそーかも)
一日二食の本丸なら、肥前くんが大食いキャラに見える可能性もあるかも?
蛇足だけど、調べたら元主って要人の護衛も結構やってるんでぃすね
有名なところだと勝海舟の護衛とか(坂本龍馬が紹介したっぽい)
たぶん肥前くんの初対面のあのマフラーって、元主が絞殺もよくやってたってことで暗殺モードな感じだったのかな
本丸の部隊がこなかったら一人で任務やってたのかな
部隊が来たからマフラー取って護衛モードに変わった、って感じなのかな?
勝海舟を護衛したときのエピソード見た感じだと、ふつーに刀で戦ってたみたいでぃすね
相手が3人で襲い掛かってきたので、1人切った後に一喝して残り2人を追い返したとか
まぁ相手は刀持って数人で切りかかってくるのにのんきに絞殺なんてやってられないってだけだろーけど
その後、勝海舟がそのときの言動イクナイってたしなめたらしいけど、岡田以蔵はそれでもあのとき私がいなかったら先生の首はすでに飛んでるってマジレスして
ぐう正論で勝海舟も黙らせたっていうエピソードだけど、あんまり知られてないっぽい
(あれ?
ってことは、あの土佐の世界線では岡田以蔵は勝海舟の護衛についてなさそう?
個人的な印象としては、岡田以蔵は普通の人って印象でぃすね
拷問に負ける泣き虫とか言われてるけど、拷問に耐えれないとか普通だし(てゆーか、ひとによっては耐えれる拷問とか意味ないじゃないでぃすか)
あれだけ凶行続けてやってたってことはPTSDになってた可能性もありそーだし
てゆーか日本人はいい加減、精神を病むのは根性がないからって思い込みを捨てるべきだと思う、誰にでもありえる症状だし
PTSDを乗り越える方法のひとつであるのが、そのことに意味があった、と思うことらしいでぃすね
たとえばつらい出来事の後に嬉しいことがあれば、ひとはそれに会うために嫌なことを乗り越えてきたんだ、って思うことが出来るらしいでぃす
とうらぶのいいとこは、刀剣男士たちがある種人生のやり直しができるってとこでぃすね
厳密にいえば、刀剣男士は似たような性質を持った別人みたいなものって感じで、それを体験した歴史上の本人が救われてるわけじゃないでぃすけど
本人を救おーとすると歴史修正になっちゃうんでぃすよね
そこがジレンマでぃすかね