そーいえば節分でぃすね
最近の行事って引き延ばしが多いから、当日には何の行事だったか忘れそーな感じ
関係ないけど、お肉の焼き方って11種類あるらしいでぃすね
そのうちの一つの「ロー」は火を通さない生肉らしいけど、それもう焼き方じゃないのではって思ったのは私だけかな
「ベリーウェルダン」は上級者向けすぎるし、レアミディアムウェルダンの三種類でだいたいなんとかなると思う
なんで私は節分の日にこんなこと調べてるんだろーか
まぁ節分の詳しいことは他のサイトでもやってるだろーけど
いちおーメモっておくと、平安時代初期に書かれた「続日本紀」に、奈良時代の慶雲3年に「大儺」ってゆー疫鬼払いをした、って書かれてるのが一番古いっぽい
宮中がこの儀式をずっとやってたのは平安時代までで、鎌倉時代以降はこの儀式は衰退してて、江戸時代には全然やってなかったっぽい
でも宮中行事とは別に、平安時代に各地の寺社や民間でこの儀式するのが大流行して、それが各地で行事としてずっと残って、のちに節分になったみたいな
こっちは宮中と違って決まった形がなくて、各地で内容がバラバラなんでぃすけどね
そー考えると、とうらぶの鬼退治イベが京の都なのは納得って感じかな?
武士の時代だと、鬼とか出ても追い出さずにその場で斬っちゃえばいいじゃないって感じなのかな
大儺は奈良時代は「方相氏」、「侲子」って呼ばれる存在と一緒に悪いものである鬼を追い払う儀式だったけど、平安時代から方相氏、侲子たちが鬼として扱われて追い払われる対象になっていったっぽい
その頃から名前も大儺から追儺に変わったっぽい
これが日本の鬼の原型っぽい
鬼退治イベの鬼に化けた遡行軍も、よりにもよって京の都で化けちゃったから、影響を受けてあんな感じに変質しちゃったのかな
ちなみに豆まきは追儺とは特に関係なくて、鬼を払う別の儀式だったのがどこかで混ざっちゃったっぽい
一番古い記述でも室町時代からっぽいし
(それが通じるってことは、あの遡行軍たちやっぱし未来から来てるのかな
平安生まれの刀剣も、室町時代以降にひろまったはずの付喪神になれてるし)
あと、室町時代の書物の「付喪神絵巻」には、節分の夜に付喪神が妖怪になって一揆を起こす話もあるっぽい
これもイベの元ネタのひとつかも?