天使なブログ

ゲームだったり本だったり徒然なるままに書くブログ

回想の話

北谷菜切1口目をドロップしたでぃす

 

今日は追加された新しい回想の話してみる

 

以下、治金丸のネタバレ注意でぃす

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回の回想って、笹貫の回想ってゆーより、治金丸を掘り下げた回想っぽい感じしたんでぃすよね

そーいえば治金丸のことあんまし書いてなかったかな

 

1743年~1745年にかけて作られた琉球の正式な歴史ってことで書かれた歴史書の「球陽」に、

1522年(大永2年)に、宮古島の豪族の仲宗根豊見親(なかそね とぅゆみゃ)が、琉球の王の尚真王へ治金丸を献上した、って書いてあるっぽい

(その頃の日本は室町時代の後期で、いわゆる戦国時代の時期でぃすね)

仲宗根豊見親が献上した後に帰りの船が難破して死傷者が出たり、そこは笹貫が島津に献上されたのと似たような感じでぃすね

 

「阿波根実基(あはごん じっき)」って人が、尚真王の命令で「治金丸」を研ぎに京へ渡航したっぽい

(1522年~1566年の間に行ったっぽいけど、尚真王の在位は1477年~1526年なので、おそらく1522~26年の間の出来事と思われ)

治金丸は山城の国(現在の京都南部)の刀って伝わってるっぽいので、それで京に研ぎに出したと思われ

で、京の研ぎ師が偽物にすり替えて阿波根に返却したっぽい

阿波根は気づかずに帰国したけど、研ぎに出す前に王妃が刀の形を壁に書き写してたので、偽物ってことがわかって、尚真王は本物を探すように命令したっぽい

阿波根は再び上京して、3年間京で探し回って、やっとその研ぎ師を見つけて、本物の治金丸を取り戻したっぽい

尚真王は褒美に阿波根に領地と「京阿波根(きょうあはごん)」って位階をあげて、武士としては最高位の親方(ウェーカタ)に出世したっぽい

ただ、京阿波根って、無私で剛直な性格ってゆー、素直すぎてあんまし人の上に立つには向いてない性格だったぽくて、なんか恨まれたっぽくて、ありもしない悪口をばらまかれて、その影響で首里城で暗殺されたっぽい

そのときに「手(ティー)」って武術で暗殺者の童子の両腿を折ったって逸話があるっぽい

この「手」がのちの空手で、京阿波根は沖縄武術を使った最古の人物らしいんでぃすね

(まぁ資料が少ないのではっきりしてないらしいんでぃすけど)

 

15世紀~18世紀までは琉球の武術の「手(ティー)」で

19世紀に大陸から武術が渡来したので、大陸の武術は「唐手(トゥーディー)」、琉球の武術は「手(ティー)」で分けてたっぽい

1901年(明治34年)に、沖縄県で学校の体育科に採用されることになったときに、

唐手表記で読み方が「トゥーディー」から「からて」になって

「唐手」と「手」を含めた琉球拳法って意味になったっぽい

なので、「唐手(トゥーディー)」と「唐手(からて)」だと意味がちょっと違うっぽい

 

空手って名前にいつなったのは諸説あるけど、

唐手だと大陸の拳法と勘違いされやすかったので、1929年(昭和4年)に「大日本拳法空手道」って名前になったのは、はっきりしてるっぽい?

ちょっと強調しすぎかもだけど、わかりやすさ重視って感じ?

空は、徒手空拳とか、般若心経からとったっぽいでぃすね

 

千代金丸の影、って台詞は

鍔と切羽が千代金丸とほぼ同じ意匠で、千代金丸の鍔に「てかね丸」の文字があるので、どこかで千代金丸と入れ替わった説があるからっぽい

影に徹する、って言ってるので、千代金丸は少なくとも笹貫に表立って危害を加えよーとはしてないっぽい?

笹貫自身が琉球に何かしたってわけじゃないけど、坊主憎けりゃ袈裟までってゆーし、たしかに耳切坊主の逸話のある治金丸だと、そーゆー行動になるのかも

ま~仮にこれで笹貫をどうにかしたとしても、それは物にやつあたりしてるだけ、って考え方もあるでぃすね

時間遡行による歴史改変とか、それで元主を助けるとかの名目すらない、周りの迷惑をかえりみず、ただ関係があるってだけで破壊して一時的に自分の気分がよくなりたい自己満足になっちゃう感じはするかも

誰かのためを思って思いとどまるってのも大事かなって思うかも