天使なブログ

ゲームだったり本だったり徒然なるままに書くブログ

6周目

ぶんとさ6周目は一期一振と宗三だったでぃす

 

今日は福島光忠の軽装が公開されたっぽい

 

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そーいえば明日は処暑でぃすね

「処」には、止まるって意味があって、暑さがおさまるって意味っぽい

 

江戸時代の常陸国宍戸藩の藩主の松平頼救が、当主を息子に譲って隠居したら時間ができたので、1787年(天明7年)に書いたっぽい暦の解説書「こよみ便欄」で、「陽気とどまりて初めて退きやまむとすればなり」って書かれてるっぽい

でも、松平頼救が隠居したのが1808年で、この本の作者名の「太玄斎」って、隠居後に名乗ってた名前っぽいんでぃすね

たぶん藩主の頃から隠居後のペンネームこれにしようとか考えてたのかな~とか思ったり

 

ちょうど徳川家斉の時代で、天明の大飢饉とかあったので、天候に関心を持ちやすかった時期って感じ

噴火とかエルニーニョ現象とかの複数の原因で、異常気象起こって、それが原因で農作物が不作でそれで飢饉になったっぽい?

松平頼救もそれでこの本書いたのかも?

 

天明の大飢饉って、幕府に不手際を指摘されて領地を取り上げられるのを恐れて、飢饉の被害にあってる藩が、正確な被害の情報を幕府に報告してなかったらしいんでぃすよね

それで幕府から各藩に救援が送られなくて、その間に被害が拡大してしまって、我慢できなくなった農民たちが都市に逃げ出して、都市の治安が悪化しちゃったっぽい

飢饉はこれ以前に何回もあったけど対策してなかったり、対応しきれなかった藩が大きな被害を受けた飢饉って感じ

同じ飢饉の被害にあった地域でも、あらかじめ対策してた米沢藩白河藩は被害が少なかったっぽい?

そーゆーやりくりできる人たちがいるかいないかで、各藩で違いが出た感じはあるかも?

 

 

ちなみに七十二侯だと綿柎開(わたのはなしべひらく)でぃすね

現代の日本では綿花の自給率はゼロで、ほぼ100%海外からの輸入品になっちゃってるけど、江戸時代は100%国内生産だったんでぃすね

綿は、最初は日本ではあまり興味持たれてなかったっぽいけど、

豊臣秀吉が海外に出兵したときに木綿の服が優秀だったってことで、それ以降、日本内での綿栽培が活発になっていって、江戸時代に完全に国内自給が可能になったっていう

1736~1741年(元文)の大坂市場では、全体の10%以上が綿で、一部では米の生産量を上回るくらいの綿が収穫できてたとか

なので、江戸時代の日本人には綿は馴染み深い植物で、綿の花が咲く時期は季節の変わり目を感じやすかったんでぃすね

 

明治の中期くらいまではどんどん拡大し続けていて、一時期は世界一の生産量だったらしいんでぃすけど

アメリカの安価で良質な綿に駆逐されちゃって、日本の綿栽培オワタになっちゃったんでぃすね

 

その後だけど、

海島綿(シーアイランドコットン)ってゆー、西インド諸島で200年以上も門外不出になってた世界最高級品の綿があって、

金と同じ重さで取引されてたくらい貴重だったので、世界中で栽培しようと考えた人たちがいたっぽくて、1975年に日本にも海島綿の原綿が入ってきたっぽい

で、日本人が栽培に成功して、現在は全世界の海島綿の70%くらいが、日本国内で製品化されてる感じ

愛媛県で有名なあの某タオルも、その海島綿で作られててるっていう