節分イベオワタ
次は拡充イベでぃすね
にっかり青江、大包平、鶯丸、へし切長谷部、不動行光、獅子王、日本号が経験値二倍もらえるっぽい
恵方巻っていつからあるのかな
てきとーに調べてみたけど
近畿には節分に縁起物を食べるってぼんやりした風習があって、その中に巻寿司を食べるって風習もあったっぽい?
おそらく昭和中期あたりから始まったっぽい?
巻寿司は、1750年~1776年の江戸時代に生まれて、1783年(天明3年)くらいに一般化したって言われてるっぽい
近畿で発明された棒寿司が、江戸に輸入されて変化したものって言われてるっぽい
関ヶ原のあった1600年くらいに酒や酢を使う寿司が発明されて
伊能忠敬が日本計測開始した1800年くらいに、現代に近い感じの、酢を使う早ずしが発明されたっぽい
江戸時代以前は、寿司は保存食として扱われてたんだけど、江戸時代になってファーストフードに変化していったっぽい
江戸では具が少なめな細巻きが好まれたけど、近畿では具を大量に詰めた中巻や太巻きが人気だったっぽい
なんで違いが出たかってゆーと、江戸では寿司はファーストフード感覚で屋台で並べて売ってたので、安くて早く食べれるものがよかったっぽい?
(当時の武士は質素倹約が美徳だったので、派手より質素が尊ばれたのかもだけど)
近畿では棒寿司の方が主流で、巻寿司はそれに添えるものだったので、見た目の映えを求めたからっぽい?
(貴族文化が強かったのもあるかもだけど)
海苔も奈良~平安時代までは貴族しか食べられない高級品だったけど、鎌倉時代に一新されて、江戸時代から海苔が大量生産されるようになって、庶民にも食べられるようになったっぽい
ただ江戸時代の頃は勘が頼りで生産が安定してなくて、価格も変動しまくってたっぽい
1949年(昭和24年)に、イギリス人の女性学者が海苔のライフサイクルを解明して、やっと現在のような安定供給ができるようになったっぽい
これは昭和中頃から巻き寿司が広まった説と一致するでぃすね
そーして日本全国で海苔の養殖がはじまって、今まで以上に巻き寿司が日本人にとって身近なものになって
あるときテレビで兵庫県出身の芸能人が、自分の家では恵方を向いて海苔巻きを食べる、って発言して、
その後で某有名コンビニが恵方巻の名前で発売、それが全国的に広がった、みたいな感じっぽい?
(雪ノ巻でなんで田沼意次なの?って思ってたけど、今思うと、もしかして冒頭の恵方巻繋がりだったのかな?
山姥切国広の部隊が田沼意次を守ったので、恵方巻も守られた、みたいな話だったのかな?
もし守れてなかったらタイムパラドクスが起きて、そのバタフライエフェクトで恵方巻のシーンもなかったことになってたのかな
何が影響するのかわからない、って感じのこと作中でも言ってた気がするし
だとしたら雪ノ巻前半は完全に節分がテーマってことに
長義の扱いェ・・・・)
おでんもコンビニからだったでぃすね
元々は「田楽」ってゆー室町時代に発明された、具を串に刺して焼いて味噌漬けした料理の愛称みたいなものっぽい
「田楽」が江戸時代の江戸で、味噌で煮込んで調理する「煮込み田楽」になって
「煮込み田楽」が近畿に再輸入されたときに、昆布出汁で味噌を使わない料理に変化して、「関東炊き」って呼んで区別してたっぽい
「関東炊き」をコンビニが「おでん」って名付けて全国で販売して、それがおでんってことになったみたいな
日本はコンビニに流行を左右されてるのかな