新景趣の清明が実装されたでぃすね~
集めるのは、筍と夏蜜柑と雛芥子(ひなげし)と細魚(さより)っぽい
今更だけど、なんで農作物と魚を集めると景趣になるのかな?
清明は「清浄明潔(しょうじょうめいけつ)」って言葉を略したものっぽい
すべてのものが清らかで生き生きしてるって意味っぽい
沖縄では「清明祭(シーミー)」てゆー行事があるっぽい
先祖代々のお墓に親戚一同が集まって、お墓の掃除やお供えをした後に、その場で宴会して先祖供養する行事っぽい
これは大陸や台湾とかで行われてる「清明節」が元ネタで、18世紀頃に琉球に渡来したっぽい
清明祭は沖縄と長崎の一部であるっぽい
それ以外の地域であんまし流行しなかったのは、2つ理由があって
1つは、日本にはお彼岸の文化がすでにあったので、行事がかぶっちゃってるからってゆーのと
もう1つは、二十四節句は大陸の季節に合わせて作られたものなので、日本でそのまま使うと季節のズレがあって合わなかったってのがあるっぽい
なので、ちょいちょい微調整しながら無理やり使ってたんだけど、
江戸時代に渋川春海って人が、日本の気候に合わせた内容に大規模改造した「大和歴」ってのを作って江戸幕府に献上して、幕府は1685年(貞享2年)に「貞享暦」って名前に変更して採用したっぽい
これが日本で最初の国産の暦になったっぽい
将軍が徳川綱吉の時代でぃすね
その後は宝暦暦、寛政暦、天保暦って変わっていって
明治維新後の1873年(明治6年)に太陽暦が導入されたっぽい
ちなみに江戸時代には、伊勢参りを企画した伊勢講が「伊勢歴」作って、新年には御神札と一緒に配られてたっぽい
1871年(明治4年)に御師制度が廃止されて、伊勢暦も禁止になったぽい
1872年(明治5年)に頒暦商社が作られて、明治6年から10年間の官暦出版の独占権持ってたけど、明治16年に期限が切れて、版権が伊勢神宮の神宮司庁に移されて
1883年(明治16年)からは神宮司庁が「神宮暦」を発行するようになったけど、中身は以前の伊勢歴と同じっぽいので、実質伊勢歴復活したみたいな感じ