大根の原産地ははっきりしてなくて、紀元前5000年くらいの地中海とか中東とか中央アジアとか、諸説あるっぽい
紀元前2200年にエジプトで、ピラミッド建設してる作業員に労働報酬として大根が渡されてた、ってのが世界最古の記録っぽい
そこからユーラシア大陸に伝わっていったっぽい
日本に伝わったのは、縄文時代か弥生時代って言われてるけど、はっきりしてないっぽい
712年の奈良時代に書かれた「古事記」で、仁徳天皇の歌の中で「淤富泥(おほね)」って書かれてるのが日本最古っぽい
原文は
「都芸泥布 夜麻志呂売能 許久波母知 宇知斯淤富泥 々士漏能 斯漏多陀牟岐 麻迦受(け)婆許曾 斯良受登母伊波米」
(け)の部分はなぜか入力できなかったので、ひらがなでぃす
前に他の記事で書いたよーに、古事記は全部ひらがな読みなので、ひらがなにして訳すと
「つぎねふ 山代女(やましろめ)の 小鍬(こくは)持ち 打ちしおほね 根白(ねじろ)の白腕(しろただむき) 枕(ま)かずけばこそ 知らずとも言はめ」
「おほね」は大根のことで、女性の白い腕と大根の白い根の部分をひっかけた歌っぽい
現代風にゆーと、「山城女が鍬で耕して作った大根の根のように白い腕で、腕枕で共寝してないなら知らない仲かもしれないけど、知らないとは言えない仲じゃないか」って感じの歌っぽい
もう一つ大根が入ってる歌も、あるにはあるけど
「つぎねふ 山代女(やましろめ)の 小鍬(こくは)持ち 打ちしおほね さわさわに 汝が言へせこそ 打ち渡す 八桑枝なす 来入り参ゐ来れ」
現代風に訳すと、「山代女が作った大根を掘り起こして、ゆさゆさ葉を揺らすようにあなたが言い立てるものだから、桑が枝を張るように大勢で来ることになった」
皇后の石之日売命って、かなり嫉妬深くて旦那の女性関係で騒いじゃう感じらしいので、こーゆー歌になったんだろーなって
嫉妬深いの知ってて、嘘ついてまで他の女性との付き合いやめてない方もどーなんだろーか、とは思うけど
ちなみに仁徳天皇陵から大根の種子が発見されてるっぽい
934年の平安時代中期に書かれた「和妙類聚抄」の、園菜類の欄に
和名で「於保禰」、俗用で「大根二字」って書かれてるっぽい
ネギ(葱)は漢字一文字だから別名が一文字だったけど、大根は二字って呼ばれてたのかな?
「おほね」は古い日本語で、現代かなで書くと「おおね」、つまり「大きな根」って意味だったらしいので、この頃から大根って呼び方もあったのかな?
一般的に、大根と書いて「だいこん」って発音されるようになったのは、室町時代中期もしくは室町時代の前って言われてるっぽい
江戸時代初期は、愛知県の春日町が発祥地の「宮重だいこん」ってのが栽培されて
1945年(昭和20年)まで尾張地方中心に栽培されたっぽい
1673年~1681年の延宝の年に、徳川綱吉が尾張から宮重だいこんの種を取り寄せて、上練馬村で栽培して、「練馬だいこん」が栽培されて
1709年に書かれた「大和本草付録」では、この時期あたりには「桜島だいこん」が栽培されてたっぽい
1818年~1830年の文政の年に、尾張から金戒光明寺に二本の宮重だいこんが奉納されて、そこから栽培が始まって出来たのが「聖護院だいこん」
明治時代後期の日本人は、現代人の3倍くらい大根を食べてたっぽい
ちなみに現代の日本は、大根の消費量世界一らしいけど、それより上ってすごいでぃすね
ま~昔の日本は野菜の種類が少なかったので、煮物、漬物、みそ汁の具とかのおかずによく使われてたし、お米が足りないときは大根をお米の代わりに主食にしてたのもあるっぽいけど
1945年(昭和20年)の後、日本人の食生活が大きく変化した影響で、宮重だいこんは廃れて消滅したっぽい
1974年に新品種の青首大根が発明されて、日本で流通してる大根の9割はこの青首大根っぽい
日本には200以上の大根の品種があったっぽいけど、青首大根に駆逐されて消えちゃった大根の品種もあるっぽくて、今残ってるのは特徴的なだいこんだけっぽい
1992年(平成4年)に、宮重だいこんの保存会ができて、宮重だいこんは復活したっぽい