天使なブログ

ゲームだったり本だったり徒然なるままに書くブログ

とっとこ走るよ大阪城

大阪城で99階まで全員のボイスを回収したでぃす

ボイスの台詞じゃないけど、ほんとお疲れさまって感じでぃすね

 同じとこずっとぐるぐる回ってるので、攻略よりもモチベとの戦いだった気がするでぃす

ボスボイスとか、道中で隊長が何度も重傷になって撤退したし、ちょっとハムスターの気分かも

 

以下、江雪の3通目の手紙のネタバレでぃす

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

元主の江雪斎のエピソード見た後だと、根気あるな~って感じでぃすね

 あれだけ元主に関係した戦を見た後で、悲しみを減らすために最前線行くとかちょっとすごいかも

 

 

そーいえばネットで、なんで北条氏政は豊臣にあんなに反発してたの?ってのを見かけたけど

たしかに、織田信長には同盟どころか、自分から臣下になりにいってたのに、なんで秀吉の場合はそれをしなかったのかって疑問に思うでぃすよね

 

時系列で書くと

徳川氏は豊臣氏との休戦目的で豊臣にいったん従って(ただしこのときはまだ完全には従属してないっぽい?)

その後に、家康が豊臣氏に従属するよーに北条氏におすすめしたら、氏政は強く拒否して、いきなり政務をすべて放棄して隠居しちゃって、北条家の中は責任者がいきなりいなくなって混乱しちゃってたっぽい

で、1589年(天正17年)に頭冷やして冷静になったのか、氏政は政務に復帰して、上洛するの受け入れる気になってたっぽい?

 でも、今度は氏政の上洛に息子の氏直や重臣たちが反対して、延々先延ばしにしてたっぽい?

 そして、その年は秀吉が沼田の土地問題を解決した年でもあって、同じ年の10月に、真田領の名胡桃城に猪俣邦憲が攻めちゃって、それが小田原征伐に繋がっちゃうんでぃすけど

 

 

個人的な想像だけど、氏政は自分の判断で頭を下げるのはできるけど、他人から頭下げるよう言われると我慢ならない性格だったのかも?

 

織田には自分から頭を下げにいったし

武田、上杉は撃退したし

徳川との同盟も、自分から話をもっていって江雪斎の交渉のおかげで北条有利の内容だったらしいし

他人から頭を下げるよう言われたことがなかったのかも?

だから判断が遅れて、それが失敗になったのかも?

 

もしくは、関東に住む人から見るとよそ者な朝廷や豊臣氏がなんだか気に食わないとかそんなのかもだけど

なんか北条って籠城戦多い感じだし、考えが内向きって印象あるんでぃすよね

小田原評定とかゆーけど、たしかにずっと裏切りがなかったのはすごいけど、内輪ばっかりで固まってると考えも固まりやすい感じもあるかも

(っていっても、評定もせずに早くすればうまくいくわけでもないけど

最近はSNSとかで正しいかもわかんない情報が早く広がりすぎちゃって

昔から常識なんて時代で変わるけど、今は変わる頻度が早すぎる感じはあるかも)

 

 

ま~実際のとこはわかんないのでただの想像だけど