白山ドロップしたでぃす、驚いたでぃす
今イベでは1口目でぃすね
明石が修行から帰ってきたでぃす
以下ネタバレ
まさかのテヘペロキャラだったでぃすね
刀剣男士の間で流行ってるのかな?
乱舞レベル低いのであんまし台詞確認できないけど、たぶん明石も通常のバージョンアップタイプっぽい?
極蛍丸がレア度5で、極明石がレア度4
レア度って言葉の意味について考えたくなるでぃすね
見た目はなんか王子様っぽさが出た感じするけど
てゆーか、せっかく鎧増えたのに、胸全開で露出って何かのジョークかな?
明石松平家には胸元全開にしないといけない決まりでもあるの?
てゆーか眼鏡吹っ飛んでるけど、伊達眼鏡だったのそれ?
他の極眼鏡キャラは中傷でも真剣必殺でも眼鏡外してないからガチ眼鏡勢ってことでぃすね
昼行燈キャラでもあるっぽいけど
昼行燈っていえば大石内蔵助・・・・つまり次のとうらぶのシナリオは忠臣蔵っていうフラグだったんだよ!
( ;・`д・´)ナ、ナンダッテー!!(`・д´・(`・д´・; )
まぁ、あの事件自体はあんまし歴史を揺るがす感じじゃないかもだし、たぶん採用されないかもだけど
あじさいが唐突に出てきたのって、明石藩初代藩主の小笠原忠政が、明石の住吉神社に舞台を建てたっぽくて、その神社があじさいの名所だからでは?ってコメントをネットで見かけたでぃす
ってことは、初代藩主に会って、その神社にも行ったってことをほのめかしてるってことかな?
この神社が建立されたのは464年のうーちゃん月の初うーちゃん日っぽい
江戸時代の催事では「初卯」、あ、これは「年が明けてから最初の卯日」って意味っぽくて、それがすごく縁起のいい日だったっぽい
(卯は当時の時間で午前6時頃って意味なので、この神社は実質うーちゃん並びの日に建てられたっぽい)
平安時代から初卯の概念はあったっぽいけど、この頃は儀式みたいな感じっぽい
平安時代の初卯祭は旧暦2月の初卯日だったっぽい
正月の最初の卯の日に参拝するのを「初卯詣(はつうもうで)」って呼んでたっぽい
参拝して卯の札とか卯槌とかをもらってたっぽい
(卯槌は、卯杖が変形したものっぽい
基本は桃の木に穴をあけて五色の糸を通して作られてて、内裏で邪気払いとして使われてたっぽい
卯杖は邪気を払うための杖っぽくて
平安時代に、正月の卯の日に曾波木(そばき)、柊、棗(なつめ)、毛保許 (むぼこ)、桃、梅、椿、栢(かしわ) 、柳、木瓜(ぼけ)、榠樝(からぼけ)、松とかの木を使って、五色の糸を巻いて作られたっぽい
日本書紀では、689年に持統天皇に杖が献上されたって記録があってこれが最古の記録っぽい
平安貴族の間で縁起物として卯杖や卯槌を贈り合う風習もあったって枕草子や源氏物語にも書いてあるっぽい
卯杖は六衛府と大舎人、卯槌は諸衛府と糸所がそれぞれ献上してたっぽいんだけど、この宮中儀式は建武の時代以降はだんだんやらなくなっていったっぽい
ちょうど南北朝の時代でぃすね
鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇が、鎌倉幕府が擁立してた光厳天皇の元号をシカトして自分で建武って元号を作っちゃった時代
でも各地の神社ではまだ風習として残ってるっぽくて
五色の糸は短冊に変形して、七夕に使われてたりするっぽい
ってことは、あの短冊って本来は天皇に献上するためのものだったっぽい?)
現在の初詣の元祖ってこれっぽい?
江戸時代は毎月卯の日に縁日してたっぽい
もうここまでくるとただ単に毎月祭りやりたいだけなのでは疑惑もあるけど
うーみゅ、しかし、あの短い明石の手紙でめっさ内容長くなったでぃすね
三日月と極明石で畑で特殊台詞あるっぽい
もう内番出しちゃったので見れるの24時間後でぃすね