天使なブログ

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松茸の話

松茸の香りって、海外だとあんまし好かれてないっぽい

なので外国人に料理で出すといい顔されないっぽい?

香りも国によって好みが違うのかな?

 

松茸の香りは、「マツタケオール」や「ケイ皮酸メチル」で、「ケイ皮酸メチル」は大豆の香りに近いので、それで日本人に好かれてるんじゃまいかって言われてるっぽい

たしかに、日本の空港に降りると醤油の香りがする、ってくらい日本って大豆の香りするっぽいでぃすからね

 

学名は「Tricholoma matsutake」で、

「Tricholoma」はキシメジ属の意味で

髪を意味する古代ギリシャ語の「τριχο」が元になってるローマ字の「tricho」と、
点灯を意味する古代ギリシャ語「λῶμα」が元になったローマ字の「loma」が合わさった単語っぽい

まとめると、「キシメジ属のマツタケ」みたいな感じ

英語ではそのまま「matsutake」でいいっぽい

 

最近は海外のマツタケも輸入されてるけど、アメリカのマツタケの学名は「Tricholoma magnivelare(アメリマツタケ)」と「Tricholoma murrillianum(西洋マツタケ)」で、同じ属だけどちょっと違うっぽい

味と香りは国産マツタケに近い感じっぽい?

肉厚なのが特徴で、マツタケご飯やてんぷらに向いてるっぽい

 

「Tricholoma mesoamericanum」って学名のメキシコのマツタケは、乾燥した気候と土壌で育つので、水分量の少ないシャキっとした歯ざわりが特徴っぽい

香りはいいっぽい

 

ただ、海外から輸入されてるマツタケって、香りが飛んでる可能性高いっぽい

マツタケの香りって常温だと1日~2日で飛んじゃうらしいので長距離輸送の間に消えやすい上に、防疫のために日本に輸入される食品って土落とさないといけないので一度洗っちゃうのも原因っぽい

なので輸入マツタケで香りついてるのって、人口香味料かけてることが多いっぽい

 

どうしても香りを楽しみたい場合、土瓶蒸しとか松茸ごはんに入れる前に軽く炙って香りを出すとか、クッキングぺーパーで包んで蒸し焼きとかって方法もあるっぽい

まぁ松茸に限らず、キノコは生食しちゃダメなので、火を通すのはいいかも

そもそもマツタケってくくりが曖昧なので、マツタケっぽいキノコもマツタケって呼ばれてるので、元々香りが出ない種類ってこともあるっぽい

 

日本では松茸は縄文時代から食べられてるっぽい

万葉集ではマツタケの短歌もあるっぽい

初めて「まつたけ」って単語使われたのは、平安時代って言われてるっぽい

1005年くらいに作られた「拾遺和歌集」で、藤原輔相(ふじわらのすけみ)が、「まつたけ」って題で詠んだ歌あってこれが日本最古っぽい?

 

「あしひきの 山下水に濡れにけり その火を先づ焚け 衣あぶらん

いとへども つらき形見を見る時は 先づ猛からぬ音こそ泣かるれ」

 

「その火を先(ま)づ焚(た)け」

「先(ま)づ猛(たけ)からぬ」

で、題の「まつたけ」が掛けてあるっぽい

まさかの日本最古の単語がダジャレってオチ

衣あぶらんとか、なんかマツタケのてんぷらみたいに見えてきたかも

 

奈良時代平安時代では、貴族や僧侶は秋にマツタケ狩りに山にでかける行事があったっぽい

焼きマツタケとか食べてたっぽい

 

平安時代後期に書かれた「類聚雑要抄(るいじゅざつようしょう)」では、

宇治平等院白河法皇に出されたメニューが

「御汁物二度 寒汁松茸 熱汁志女知(しめじ)」

だったっぽい

これが匂いまつたけ、味しめじの元ネタなんじゃないかなと思われ

後白河法皇が編集した「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」には、比叡山の修験者が精進物として松茸、平茸、えのき茸を食べてたって書いてるっぽい

 

鎌倉時代徒然草でも出てるっぽい

「鯉ばかりこそ、御前にても切らるるものなれば、やんごとなき魚なり

鳥には雉、さうなきものなり

雉、松茸などは、御湯殿(おゆどの)の上に懸かりたるも苦しからずその外は心うきことなり」

現代語だと

「鯉は天皇の前でも活け造りにされる特別な魚

鳥は雉(きじ)、言うまでもない

雉や松茸などは宮中の座敷の間に懸けて置かれていても見苦しくない

それ以外はイクナイ」

って感じの意味っぽい

他にも、鎌倉時代の公家の藤原定家が書いた「明月記」だと
女性たちが松茸取りに山に行った後に、酒の席に招かれたので、酒のつまみに松茸を期待したけどなかった(´・ω・`)ショボーン

みたいな感じで書いてたりとか

 

室町時代の初期に作られた「庭訓往来(ていきんおうらい)」ってあるっぽい

往来物(おうらいもの)は、平安時代後期から明治時代初頭の間使われてた、子供向けの教科書の総称っぽい

江戸時代でいう寺子屋の元祖みたいなのは奈良時代からあるっぽくて、当時は最新の科学知識扱いだった仏教の僧侶たちが中心でやってたっぽい

その仏法を説くための会合や集会での食事のメニューが往来物にも載ってて、その中に「酒煎の松茸」があるっぽい

以前は高級食材扱いであまり一般向けじゃなかったけど、室町時代あたりから一般人の子供でも学習の場で松茸食べるよーになってたっぽい

 

室町時代はわりと乱世だったので、戦火に焼かれた寺社とか民家とかの再建とか、新しい寺院とか武士の屋敷建設とか、それで京の人口増えて農業拡大とかで、とにかく森林伐採がすごかったっぽい

それで山が痩せて、山の環境が大きく変化した結果、松林にたくさんの松茸が発生して、京で松茸がたくさん採れるようになったっぽい

戦乱が続いたらなぜか松茸が増えた、な、なにを言ってるのか(ry

 

まぁそんな感じで京は松茸のブランド産地になって、江戸時代でも、京都の松茸がブランド物扱いだったっぽい

明治時代初期には、東京で秋に出回る信州産松茸に、「京松茸」って名前をつけて売られてたっぽい

(まぁ江戸も東京もそーなんだけど、人が多い大都市だったのでブランド偽装多かったんでぃすよね

明治時代に牛鍋が大人気過ぎて、牛肉足りなくて別の肉偽装して売って問題になってたくらいだし)

 

江戸末期の京都守護職会津藩主の松平容保は、京松茸が気に入ったぽくて、戊辰戦争の後に、伏見・稲荷山産の松茸を土ごと持ち帰って、会津東山温泉付近の赤松林に植えさせたらしいっぽいでぃすね

最初は京都守護職なるの拒否ってたらしいし、あの当時の京の治安はクッソ悪いので、京への印象あまりよくないかと思ってたけど、意外に気に入ってたのかも?

 

 

昔は松茸の元になる赤松の林がたくさんあって、火を起こすための薪や落ち葉を採りに人が山に入ることが多くて、それで松茸が育ちやすい環境だったっぽい

なので、薪取りに林に入ってそのついでで採れるくらいの気軽なものだったっぽくて、値段もお手頃だったっぽい

でも高度経済成長期に赤松の林が減っていって、暖房器具や家電の発達で薪採りに人が山に入らなくなって、松茸も採れにくくなっちゃったっぽい

 

なので、高度経済成長期の前は、椎茸や舞茸の方が松茸より値段が高かったんでぃすよね

19 11(明治44)年の頃の値段は、1kgで椎茸1円30銭、松茸は15銭だったっぽい

米は1俵(60kg)あたり6円72銭で、米1kgより松茸1kgのが安かったっぽい

椎茸や舞茸が安くなったのは、20世紀になって人工栽培に成功した後なんでぃすね