天使なブログ

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今日は

今日は593年(推古天皇元年)に聖徳太子推古天皇の摂政になった日でぃすね

 

摂政は女帝や幼少天皇が即位したときに補佐する役職、って言われてるけど、実は摂政になったときの聖徳太子の年齢は19歳くらいなんでぃすよね

成人年齢が今より早かった当時でも若い方

なんでそんな若いのに摂政かってゆーと、これは当時の政治の状況が関係してるっぽい

日本の天皇制が確立されたのは670年~680年代の天武天皇の時代で

聖徳太子がいた500年代の天皇の権力はあんまり安定してなかったらしくて、有力な豪族だった蘇我氏が実質権力もってたらしい

聖徳太子の本当の名前は「厩戸王(うまやどのおう)」だけど、この名前は蘇我馬子から取られた名前じゃないかって説があるっぽい

聖徳太子の父親の用明天皇蘇我馬子は仲が良かったらしいのでそれでじゃないかって言われてるっぽい

 

で、592年に次の天皇を決めないといけなくなったんだけど、

このときに候補の男子は3人いて、

用明天皇の息子の聖徳太子

敏達天皇とのちの推古天皇の息子の竹田皇子、

敏達天皇と広姫の息子の押坂彦人皇

 

押坂彦人皇子は蘇我馬子と血縁関係がないので除外されたっぽくて

聖徳太子と竹田皇子はどちらも天皇になるには若すぎたらしい

 

当時の蘇我氏は反感持たれてて、蘇我氏と血縁のある男子が選ばれたら必ず政治が荒れ荒れになるような状況だったのもあって、女性なら角が立たないかもってことで推古天皇が選ばれたっぽい

推古天皇蘇我馬子と姪と叔父の関係で仲が良かったって言われてるのでそれも選ばれた理由ではって言われてるっぽい

(といっても最初は天皇になるの断っていたり、蘇我氏のよくない行動をいさめる発言もしてたりするので、言うことは言う関係だったのかもだけど)

でも推古天皇が即位した前後あたりで竹田皇子が亡くなってしまったらしくて、そこで聖徳太子が皇太子になって、さらに推古天皇の摂政に選ばれたっぽい

だいたいの流れはこんな感じっぽい

偶然にも聖徳太子は仕事ができて人望があるタイプだったので結果オーライなのかも