今日は897年(寛平9年)に醍醐天皇が即位した日でぃすね
醍醐天皇はちょっと特殊な経歴があって、もともとは臣籍に降下していた源氏だったっぽい
それが887年(仁和3年)に父親が宇多天皇になって、それにともなって皇籍復帰したっぽい
めんどくさいのはこの後で、醍醐天皇に譲位して上皇になった宇多上皇が、譲位後も政治に口出ししてきたんでぃすね
宇多上皇は、これ以上藤原系の皇子を増やしたくない派だったんだけど
決定的に仲が悪くなったのはある噂が流れたせいっぽい
「宇多上皇が菅原道真の娘婿の斉世親王を皇太弟に擁立しようとしている」
って内容だったっぽい
この噂は藤原時平の讒言(ざんげん)だったらしいんだけど、宇多上皇や菅原道真にもともと不満をもってた人たちが、これをきっかけに動き出して
その後も反対派のリストラをやりまくって、醍醐天皇と藤原時平が実権を握ったっぽい
まーこの後に、皆さんも知ってる菅原道真のあれこれがあって
藤原時平が亡くなったり、醍醐天皇も心労で体調不良になったりとかあったっぽいけど
政治的には「延期格式」や「日本三代実録」、文化的には「古今和歌集」作ったり
収穫のよくない年には民の負担を減らすために重陽の節句を何度も中止したり
旱魃の時には民たちに冷泉院の池の水を汲むことを許して、そこの水がなくなったら神泉苑の水も汲ませて水がなくなったりとか
洪水が発生したときはその年の年貢や労役を免除したり水害にあった民衆の救助活動したりとかもやってたっぽい
世間的には菅原道真のアレのせいではないかって言われてるけど、実際には古い制度である律令制が限界にきてた時期で、醍醐天皇がどーにかしようとしてもどーにもならなかった、って感じだったっぽい
次の朱雀天皇では律令制への回帰をあきらめる方向性だったっぽいし
のちに聖帝とか言われて持ち上げられてる醍醐天皇だけど、実際には律令制の最後の黄金期だった時期を後世が美化してる部分があるんじゃないかって言われてるっぽい