天使なブログ

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冬イベの季節

豆を投げたら冬イベでぃすね

なんとか飛龍はもらえたので、イベントこれでなんとかなるといいけど

 

 

以下とうらぶ2章ネタバレ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とうらぶ無双の伊達政宗さんはハッスルしてるでぃすね~

まぁ北条氏が徳川氏と同盟組んでいけいけどんどんして目立ってたから標的にされなかった面はあったかもでぃすね

 

一揆がちらっと出てるけど

日本の百姓の起こす一揆って、基本的に無分別に秩序を攻撃するんじゃなくて、大名に対して具体的で実現可能な要求をするための手段なのがほとんどだったりするんでぃすよね

年貢徴収の猶予とか、横暴な役人をやめさせて別の人に替えてほしいとかね

それくらいなら話し合いでもいいんじゃない?って現代人は考えるかもしんないけど

当時役人に農民がそーゆー話し合いをお願いするのは無礼な行動とみなされて、下手したらその場で捕まって牢に入れられて、刑罰を受けて罪人扱いされたっぽい

なので武器を持っての一揆という形をとらないと、農民は話し合いのテーブルにもつけなかったっぽい

一揆の内容は、そこを支配してる大名に嘆願書を届けるっていう単純なものなんだけど、そんなの送られたら当然役人は困るわけなので、武力のようなもので物理的に妨害するのが多かったっぽいので、嘆願書を届けたい農民も対抗して武力のようなものを持った結果、一揆と呼ばれるよーになったっぽい?

なので歴史で一揆が出てきた場合、ただ暴れたいだけじゃなく、農民側が大名に何かの交渉しよーとしてるって考えた方がよさげ?

ちなみに大名側は、年貢が滞ったら困っちゃうので、嘆願書の要求が通ることが多かったっぽい

 

そーゆーのが全国で常態化してたけど、小さい国単位ならともかく、さすがに日本全国まとめるときにそんなやり方続けるの効率悪すぎね?ってことで、やったのがいわゆる刀狩なんでぃすね

秀吉は信長のやり方引き継いで関所の撤廃とかしてたので、そーなると農民はどこにでも嘆願書を届けられるようになっちゃうわけなので、一揆できる範囲が広がりすぎてしまって、大名への農民の影響力が強くなりすぎるんでぃすよね

なので農民から武器を取り上げる必要に迫られたってゆーか、実は剣よりペンが強かったみたいな感じ

ま~徳川幕府だと関所も作るし刀狩も続けるって感じっぽいけど

 

ただ、完全に農民から武器を取り上げるってことは豊臣でも徳川でも無理だったんでぃすけどね

なんでかってゆーと、畑を狙う害獣の駆除とかあるので、全部取り上げると入ってくる年貢が減っちゃうので

なので徳川幕府の時代でも一揆は続いたのでぃすね

 

ってまた話がずれたでぃすね