E3クリアしたでぃす
ギミック解除中に第四号海防艦ドロップしたでぃす
持ってない子だったのでラッキーかも
とうらぶの4月の予定表出たけど・・・・何これ?
予定表なのに予定が隠されてるとは驚きでぃすね
新しいイベントの名前が防人作戦って、嫌な予感しかしないでぃすね
てゆーか本部って西国にあったのん?
大阪城あるっぽいので、小判補給タスカルかも
大阪城は表示されるのって、大阪城は時の政府とはあんまし関係ないってことかな?
ネットの千里眼持ちの人のコメントだと、新しい極あるっぽい
まぁ日本人ならだいたい知ってると思うけど
防人は日本の飛鳥時代(644年)から平安時代の間に行われた軍事制度で、
わかりやすくいえば、三年間西国に単身赴任で兵隊やるみたいな感じ
(基本は三年勤めれば帰れるけど、延長とかもあったっぽい)
主に東国の農民が送られたっぽい
自費で西国(現在の九州)まで行かないといけない上に、行ってる間の税金も免除されないとかゆートンデモ制度だったらしいでぃすね
しかも、行きのときは同行してくれる人いるけど帰りは自力で帰るよーにって言われるので、帰る道がわからず途中でのたれ死に、ってのも結構あったとか
仮に無事帰れたとしてもいなかったときの税金支払わないといけないので、最悪財産なくなって路頭に迷う可能性もあったりで
ちなみに断ると死罪なので断れないっていう
防人に行く人たちやそれに影響された貴族が、それを嘆く歌を大量に詠みまくったっぽい
(当時の貴族も各地の領地管理のために単身赴任やらないといけなくなるのは珍しくなかったので、同情論が強かったっぽい)
防人の歌を聞いた上司たちが「もしかするとこれってちょっとおかしい制度なんじゃね?」って気づいて、奈良時代末期の757年からは東国から集めるのやめて、西国限定にしたっぽい
実際、無理やり集められてたので、東国から来た兵は士気が低かったって言われてるでぃすね
なので西国限定で集めて、なおかつやる気のある人を訓練して、数より質を高めよーってことになったっぽい
西国は大陸からの海賊がしょっちゅう来てたので、実戦経験も多かったっぽい
そーして西国には少人数だけど精鋭が集まりやすい環境になって、それがのちの元寇での勝利に繋がるわけでぃすけど
なんで最初からそーしないの?って思うけど
当時はまだ専業の軍人って考え方が薄くて、とにかく大量に人集めて数の暴力でフルボッコが基本だったってゆーか
しかも当時の日本は大陸と比べると武器の格差もひどくて、大陸から戦法とかまだ取り入れてない時期で、余計に数に頼ってたってゆーか
この頃は刀はまだ数が少なくて貴重な高級品だったので、もったいなくて武器としては使えないみたいな感じだし
あくまで個人的な想像でぃすけど、東国の力をそぐために東国の人たち集めてたとか陰謀論言われてるけど、たぶん朝廷そこまで考えてないと思うの
東国から西国まで来るのが大変ってこと自体に関心が弱くて気づかなかったって気もする
この防人の歌は万葉集に載ってるけど、これを編纂した大伴家持の本当の狙いは、無関心な朝廷に現場はこーなってるって現状を伝える手段だったんじゃないかな
現に東国の防人を廃止したのって万葉集がまとめられた後だし(偶然って可能性もないではないけど)
実際は遠回しな上への陳情みたいな意味もあったのかもとか想像してみたり