天使なブログ

ゲームだったり本だったり徒然なるままに書くブログ

誰何珍百景

ネットで、4月の予定表の極って誰の極かな?ってコメント見かけたけど

たぶん三日月じゃないかなって思うかも

予定表を隠してる黒いのが雲だとしたら、「月に叢雲、花に風」って言葉みたいに、雲が月を隠してる、って感じするし

ま~運営はそんなこと考えてなくて、なんとなく黒くしてみただけ、って可能性もあるでぃすけどね

 

叢雲っていえば、草薙剣って、昔だけあって内容がだいぶ不確かな部分多いよね

日本書紀では、本当の名前は天叢雲剣で、ヤマトタケルのときに草薙剣に名前が変わったっていうけど

古事記だとスサノオが天照大御に献上した時点で「草那芸之太刀」って名前出てるんでぃすよね

ヤマトタケルにも、訪ねて行った伊勢神宮の叔母の倭比売(やまとひめ)命から「草那芸之太刀」をもらったって展開だし

親戚の叔母さんの愚痴聞いてたら草那芸之太刀くれたって感じ

 

名前も実は古事記日本書紀で違ってて、日本書紀では日本武尊だけど、古事記では倭建命なんでぃすよね

これは古事記が書かれた後に日本書紀が書かれた、その間の期間で、倭国から日本って国の名称が変更されたことが原因って感じ

つまりヤマトタケルって、どっちも国の名前なんでぃすね

 

なんで変わったのかってゆーと、その頃に大陸であったとある戦いで、倭国が大敗したのが原因なのかなって思ったり

登場人物や剣の名前の漢字もほとんど全部違うのに入れ替わってるので、読む側はけっこー困るでぃすね

変更するのはいいんでぃすけど、編集作業が追い付いてないのか、途中まで倭国なのに、突然日本国って名前に変わってそれに特に説明がなかったり、

天叢雲剣のエピソードも、原文に後付けで短い文を付け足して、ってゆーちょっと強引な割り込みしてたりとかだったり

そのせいで名前が天叢雲剣のはずなのに、ずっと草薙剣って名称で登場し続けてるんでぃすよね

そもそも古事記には天叢雲剣って名称もないし

 

しかも、日本書紀ではそれとは別の説って扱いで、スサノオが大蛇を切ったって話が出てて、それも尾を切ろうとしたら刃がかけたので調べたら、尾の中に剣が入っててそれが草薙剣だった、ってほとんど八岐大蛇のエピと変わんないけど

大蛇倒すのに使った剣の名前が「天蠅斫之剣(あまのははきりのつるぎ)」で、たぶんこっちと同一視するために、天叢雲剣って名称が後から作られたんじゃないかなって思われ

昔の人もそー思ってたのか、草薙剣で呼ばれることがほとんどで、天叢雲剣って名称が使われだしたのは近代になってかららしいでぃすね

 

ちなみに「天蠅斫之剣」を直訳すると、蠅のような小さいものでも切れる剣って意味っぽい

たしかに小さいものでも切れるのはすごい切れ味なんだろーけど、ちょっと格好つかない名前の感じもするでぃすよね

 

 

そーいえば、八岐大蛇って川がモデルになってるって言われてるでぃすね

現在でいう鳥取県にある斐伊川(ひいかわ)って川がモデルっぽい

その流域の山脈から良質の鉄が取れたので、名刀の産地にもなったとかどーとか

スサノオが八岐大蛇を斬ったときに赤い血が流れたってゆーけど、たぶん採掘するとき余った土を川に流して、川が赤い色になるので、それでじゃないかって言われてるでぃすね

スサノオの持ってた剣で斬ったら、スサノオの剣の歯がかけるくらいすごい名刀って感じなのかな?

ちなみに後世では備前長船にも使われた鉄っぽいけど

 


ただ、採掘するときに土を流してたせいで、この川は洪水が起こりやすい感じになっちゃったっぽい

洪水が起こるたびに川の形が変わるので、それが当時の人たちには八岐大蛇の怒りに見えた説があるっぽい

江戸時代になって、さらに鉄の需要が増えて、今まで以上に採掘して余った土を流し始めたもんだから、洪水の数もさらに増えてたっぽい

結局1635年(寛永12年)に川の工事をして、やっと洪水が止まったっぽい

徳川家光の時代で、参勤交代と鎖国がはじまった年でもあるでぃすね

 


なので、八岐大蛇が最大に暴れてた時期は実は江戸時代で、退治されたのも江戸時代、ってゆー変な感じでぃすね