天使なブログ

ゲームだったり本だったり徒然なるままに書くブログ

こういうことは蝶たちに任せている

今日の視察は福岡一文字コンビだったでぃすね

 お頭と同じときに実装された景趣かな?

前のイラストに合わせたのかな

 

 江戸城イベ今日からだし、たぶんそれに合わせてかな?

よーしパパ南泉つかまえちゃうぞー

 

 そーいえば童謡の「ちょうちょう」って曲、2番目はすずめの歌なんでぃすよね

3番はとんぼの歌、4番はつばめの歌みたいでぃす

 しかも1番と2番は作詞担当してる人が違って、3番と4番は作詞者不明っていうカオス

 どうしてこうなった( ^ω^ )

 

元々この歌は尾張地方で歌われていたわらべ唄「蝶々」って言われてるっぽい

もとの歌詞は

蝶々とまれ
菜の葉にとまれ
なのはがいやなら
この葉にとまれ

 っぽい

 

明治時代に伊沢修二ってゆー人が、日本の学校教育の参考にしたろ!ってアメリカの学校に留学して、そのとき音楽も学んでアメリカ民謡を日本に持ち帰って、

そのうちのひとつの「Lightly Row」に、尾張のわらべ歌に興味あった野村秋足が、わらべ歌のうちの一つの「蝶々」の歌詞をつけて

それが明治14年の「小学唱歌集」で載せられたっぽい

ちなみにその「小学唱歌集」に書かれてた伊沢修二の紹介文で「原曲はスペインの民謡」ってなぜか書かれてるっぽくて、

しかも「Lightly Row」はさらにドイツ民謡の元ネタがあったっぽい

そのせいでのちの歴史家が「ちょうちょう」の元ネタがスペインなのかアメリカなのかドイツなのか尾張なのか混乱する事態に

どうしてこうなった( ^ω^ )

(元ネタのドイツ民謡ってヨーロッパ各地で流行してた人気曲っぽいので、どこかで間違って伝えられたのかも?)

 

さらに最初は2番までだったのが、後の時代で3番4番が勝手に足されて、

しかも富国強兵だとかで勝手に政治的なものに歌詞を書き換えられて、そのせいで戦後は政治的な曲って扱いをされてしまったり

本当にどうしてこうなった( ^ω^ )

 

折り紙増えた

今日の視察は岩融と今剣だったでぃすね

 

今日って源義経が平泉でこの世からバイバイした日っぽい

それでこのイラストなのかな 

そーいえばもう消された本丸での負傷ボイスはいびきだったっぽいけど

 

雀がいるのは、仙台藩の伊達家が平泉に義経堂ってお堂たてたからかな?

 

(ちなみに江戸時代の元禄に、松尾芭蕉が平泉にきて詠んだ句があの有名な「夏草や 兵共が 夢の跡」だったりするっぽい

実は松尾芭蕉が平泉に来た時期も義経の亡くなった時期も同じ6月なんでぃすよね)

 

折り紙流行ってるのかな?

 

運営の指定じゃない?ってネットの書き込みも見かけたでぃす

ってことはこれからのとうらぶ展開で関係するのを連続で出してるとか?

 

 なるほど、次の舞台ではアマビエと野菜と折り紙が主役になるんでぃすね

 

ぽい?

政剣マニフェスティアのDMM版が終了するっぽい

そのかわりスチーム版出るっぽい

 

 ペルソナ4もスチーム版出るっぽいし、これから多くなるのかな

たぶんおうちでお仕事するためにパソコン買った人一気に増えたっぽいので、その新規需要を見込んでってことかもだけど

 スマホもそーだけど、結局ソフトを遊べる媒体を持ってる人が多いかどーかがソフトの売り上げに影響してきそーでぃすよね

 

すっきりした

今日の視察は大包平だったでぃすね

見た感じ内番の手合わせっぽい? 

 ゲームだと戦闘服だけど、花丸だと内番服だし、そこらへんはそれぞれの本丸におまかせなのかな

 

 木刀でぃすけど、一番古い木刀の記述は、古事記には「詐刀」って名前で登場してるのでそのくらいの時期にはあったっぽい

倭建命、いわゆるヤマトタケルが、本物そっくりの木刀を持って、出雲命と会って、お互いの刀を交換した後に戦いを誘って、木刀って気づかなかった出雲命をコロコロしちゃったってゆーなかなかアレな話

まぁこの木刀はその後の記述見た感じだと刀身のない柄だけの木刀っぽいので木刀に含めていいのかわかんないけど

 

鎌倉時代には競馬太刀ってゆー、馬に乗ってるときに佩く用の木製の太刀もあったっぽい

鎌倉時代以降は武士社会なので、刀を献上するのまじいい感じだったので、献上用の使い道が多くなったっぽい

献上用は木刀って言っても飾りは豪華な感じっぽい

江戸時代だと献上専用の木刀がすごく多くなって粗悪品も多かったっぽいけど

 

といっても、イラストのは剣術の練習用っぽいけど

 戦国時代に竹刀が発明される前は剣術の練習のときに使ってたりもしたっぽい

 木刀だと危ないから竹刀に変更されたっぽいけど

江戸時代後期以前の竹刀はそれぞれオリジナルで作ってたみたいで、大きさも長さも統一されてなかった上に、ものによっては作りが甘くてすぐ壊れたりして壊れたところが尖って木刀より危ないとかゆー笑えないこともあったっぽい

しかも江戸時代の防具も個人個人で自作するものだったらしくて、やっぱし作りが甘いのもあったらしくて、竹刀で一発攻撃受けたらすぐにひしゃげて防げてない っていう

 江戸時代の人たちがなぜ重装備しないのか納得でぃすね

 

でも素振りとかはまだ木刀が使われたりするっぽい?

 ネットで鍔つきの木刀だから誰かと手合わせした後じゃないの?って書き込み見かけたけど

 花丸では手合わせでは木刀に鍔なかったんでぃすよね

 あの本丸は刀剣男士たちの水着も買えないくらい万年お金に困ってるみたいだったし、鍔のお金ケチったのかもだけど

大量に飾ってあるからたぶん一度にたくさん買って値段も下げてもらったんだろーな

天然理心流では通常の真剣以上の重さにした太い木刀使ってるらしいけど、それもないとこをみると、専用の木刀を作れる予算がなくて、汎用性高そーな木刀しか買えなかったんじゃないかなって思ったり

 

 きっと視察の本丸はお金持ちだからオプションの鍔もセットで外注できるんでぃすね

そーいえば小判じゃないと購入できない軽装を着てる子も多いし、絶対お金持ちだよね視察先の本丸

花丸の博多くんは赤字を叫んでたけど、視察の本丸ではずっと子供らしい笑顔ってことは、博多くんが経済の心配する必要がない本丸ってことでぃすよね

 それぞれの本丸の経済差を見た気がするかも

 

 ま~実際、経済的に困った武士が刀を売ってその代わりに木刀を身に着けてたとかあるっぽいけど

重さをそれっぽくするために樫を使ってたりとか

ヤマトタケルも重さを誤魔化すために樫の木刀を使ったって考えると、木刀って詐刀の使い道があるせーでちょっとよくない印象なのかも

 明治の廃刀令の後に、兜の試し切りとかした人は、刀の代わりに木刀売ってたりもあったし、詐刀って印象がどーしてもね

 

何れ菖蒲か杜若

もしかしてだけど、なんか任務で前に消えた10回戦うの復活してる

 

今日の視察は太郎と次郎でぃすね

いろんな刀剣男士がミックスされてるの多かったのでシンプルなのも悪くないでぃすね

 

栞の花がどーとかネットで書いてたけど、たしかになんか花のしおりでぃすね

アヤメかショウブかハナショウブカキツバタのどれか、あるいはそれ以外の可能性もあるかも

ネットではスミレって言われてるけど

4つ巴どころか5つ巴でファイ!しないとでぃすね

 

 

 

こんのすけをさがせ

今日の視察は信濃と後藤と乱と来派トリオでぃすね

信濃くんの笑顔がうおっまぶしっ

 

とうとう足だけしか出演しない刀剣男士まで出てきたでぃすね

あれかな、体の一部だけ見て当てるクイズが開催されてるのかな

 

しかし粟田口の皆さんの登場回数やばいでぃすね

 単純に数が多い上に担当イラストレーターさんが自分のキャラかこーとしたらだいたい粟田口になるんだろーな

 

信濃が持ってるのは二十四節気のアレでぃすね

 何の百合かわかんないけど、たぶんテッポウユリかな?

 百合の王様って言われてるっぽい

 

 日本では百合は主に墓地にそなえる花っぽいけど、実は日本で墓地にそなえる花って、食べられる花が多いんでぃすよね

有名な彼岸花も実は食用でぃすし

 これは偶然じゃなくて、昔はよく飢饉とかあったので墓地は非常用の食糧になる植物をたくさん植えておく場所でもあったっぽい

 

餓死の原因は食べなくて死亡って思われがちだけど、実は死因の大半は空腹のあまり毒性のある植物を食べて死亡するケースの方が多いっぽい

 百合が食用なのも飢えの中で食べられるものを探した結果なんだろ~なって思ったり

 墓地の周りの植物を食べられるものに植え替えてたので、飢饉のときにうっかり間違えて毒性のを食べなくて安全ってわけでぃすね

 じゃ、なんで場所がお墓かってゆーと、お墓って管理してるのたぶん寺社だろーから、寺社が管理してた植物だからかな、っててきとーに想像してみる

昔のお寺は大陸から取り入れた最新の知識を持った知識人の集団でもあったので、植物にも詳しいだろーし

 あとあんまし身近にあると、村人が普段から勝手に食べちゃって飢饉のときに食べれる植物がない、なんて間抜けなことになりそーだし

 あんまし遠くにすると、どこに植えたか忘れちゃったとかありそーだし、お墓参りが定期的にある場所で無難って気はするかも

 

 実際の農家でも親が荒れた土地を切り開いてどこかに畑を作ったはずだけど場所忘れたとかまれによくあるっぽいし

 土地が広いってゆーのもそれはそれで大変でぃすね

発見されたっぽい?

近藤勇虎徹が発見されたっぽい?

 虎徹といっても偽物だったらしいけど、近藤勇だから本物かもしれないっぽい

本物の偽物かもしれないけど、まだ本物か偽物かわかんない感じ

自分で言っててわけがわからないでぃすね

 

今日の視察は一期一振と乱と毛利だったでぃすね

どーでもいいけど毛利と乱が並ぶと某作品のヒロインが連想されるでぃすね

 

折り紙って言葉自体は平安時代からあるっぽいけど、手紙を折るとか、高貴な身分の人がする礼法とかそんな感じで、今のと違うっぽい

それぞれの家とかで独特の礼法あったりするっぽい

 

今の遊戯向けの折り紙の原型がはっきり確認できるのは江戸時代からでぃすね

たぶん江戸時代はいろんなものが大量生産された時代なので和紙の価格が下がって、庶民にも手に入れやすくなったからかも

 

一番古い記録は1680年に井原西鶴って人が「一昼夜独吟四千句」って名前の矢数俳諧を興行して、そこに折り紙のことがなんか書かれてるっぽい?

矢数俳諧は一日の間にどれだけたくさんの句が詠めるかスピードと数を競う競技みたいな感じ

 ちなみにこの大会の最多記録は、貞享元年の西鶴の2万3500句っぽい

西鶴って速筆の作家だったのかも

 

1797年に最も古い折り紙の本の「秘傅千羽鶴折形」が出版されたっぽい

たぶんこれの影響で遊戯としての折り紙が広まったのかなって

 

ただ、遊戯としての方の折り紙が流行りすぎちゃって、本来の礼法の折り紙が衰退しちゃったみたい

これはイクナイって思った伊勢貞丈って人が、「貞丈雑記」や「包結図説」っていう、将軍家に伝わる階級別、用途別に使い分ける礼法を本にしたっぽい

これは江戸時代では寺子屋で、明治以降は義務教育として教科書に載ってたっぽいけど、戦後は教科書から削除されて、遊戯の折り紙だけが残ったっぽい?

 そーゆー事情のせいか折り紙の資料がいまいち見つかりにくいっぽい