鶯丸から手紙きたけど、反応に困る内容でぃすね
村雲江をゲッ刀したでぃす
以下、ネタバレ
また攻めたキャラを出してきたでぃすね
初期実装組が極で光属性に目覚め始めたと思ったら、また闇が戻ってきてしまった感
放置台詞と長期留守台詞がもはやホラーの域に達してるでぃすね
全刀剣男士の中でぶっちぎりの闇&病み属性っぽい
ちびっ子向けのグッズを出してからのこのキャラ、運営は子供を泣かせにきてるでぃすね、いろんな意味で
最初は台詞内容で、何これって頭の中でハテナマークが飛んでたけど、元主が時代劇とかで悪役になってる、ってのがそのまま彼の逸話の内容になってるんでぃすね
ま~元主の有名な台詞が悪役にぴったりすぎて、悪役にしたくなる気持ちもわからないでもないけど
(水戸光圀の残した台詞もなかなかアレなので、どっこいどっこいだとは思うけど)
就任台詞とか内番の手合わせとか、これ完全に犬っぽいんでぃすけど
犬の擬人化かな?
たしかに元主の仕えてた徳川綱吉って犬公方とか言われてたけど、そっちの影響もやっぱしあるんでぃすね
幕府のトップがすべての命令の細かいとこまで指示出してるわけないし、直接はその家臣が出してるだろーし、実質綱吉って考え方もないではないけど
そーいえば松井江もそんな感じだったでぃすね
回想見てみたけど、江仲間がいると思ったより明るいみたいでぃすね
よかった、病みキャラはいなかったんだ(本丸の台詞から目をそらしながら)
そーいえば、正義とは何か、って哲学論はよく見るけど、正義って言葉がいつから日本にあるのかってのは、あんまし見かけない気がするかも
「悪」はたしか大陸から来た言葉だった気がするけど
もともとは、「突出した」って意味っぽい
突出して平均から外れた人間は、政治とか軍隊とかの連携とらないといけないときの妨げになりやすいので、命令や規則に従わないもの、って意味で「悪」って言葉が使われてたっぽい
逆に「善」は、「命令や規則に従うもの」って意味っぽい
古事記では、「悪事」は「マカゴト」あるいは「マガゴト」って言って災いが起こることを意味してたっぽい
(「善事」は「ヨゴト」って言われてたっぽい)
悪=災いって概念自体はこの頃からあったっぽい
もう少し時代が進むと、名前に「悪」ってついたあだ名がつけられちゃったりで、
源義平は他の人より突出して勇猛な人だからってことで「悪源太」って言われてたりとか
他にも、既存の支配勢力に対抗した人や階層を「悪党」って呼んだりとか
うーみゅ、やっぱし正義ってなんか浮いてるってゆーか、なんか西洋っぽい考えの感じでぃすよね
そもそも柳沢吉保って江戸幕府の大老ってゆーバリバリの権力側でぃすよね
悪党と真逆って感じ
てきとーに調べた感じだと、明治時代に開国して西洋の思想が入って、それ以前に使われてた「義」って概念と入れ替わってるっぽい?
それに引きずられて、悪ってゆー言葉の意味も西洋風に変化した、って感じ?
神道にも仏教にも善悪の対立って概念は存在しないっぽいし
村雲江はたぶん後世の人々の思想の変化をもろ受けてる感じかも?
山姥切コンビと似たよーな感じでぃすね
ま~村雲が影響受けてるっぽい時代劇自体もね
流れてるBGMに使われてる楽器が外国の楽器でぃすし
西洋の文化禁止だった江戸時代に軽快なトランペットが鳴り響いてるってゆーシュールなギャグでぃすからね
キハーダやヴィブラスラップもよく使われてるっぽいのでたぶん時代劇の江戸時代ではラテン系が流行ってる設定なのかも
え?植民地時代の南米のペルーで発明された楽器がなんで江戸時代の江戸にあるのって?細けーことはいいんでぃすよ
正義に関しては、時代によって変わってるって感じ
漢字としての「義」のもともとの意味は「外から来た固有ではないもの」で
義手、義足、義父母、義兄弟とか、そんな感じで使われてたっぽいけど
後から「講義」とかの「血縁関係じゃない仲間同士を結び付ける倫理」って意味が増えたっぽい
さらに後から「他者と共同で行う第三者のための事業」って意味も増えて、
義舎、義学、義田とかの無償の施設を意味する感じになったっぽい
ちなみに日本の仏教では、同じ仏教徒の間で血縁や地縁を越えて共同で行う事業のことを「知識」って呼んでるっぽい
これが明治維新で西洋文化を取り入れるときに、英語の「knowledge」の当て字として使われて現在の意味になったっぽい
それと、「義(よし)」は、清和源氏や足利家の武将が代々名前に使ってる文字でもあって、
当時の武士は、主の名前から一文字もらうのは名誉とされてて、なので「義」の文字がつく名前の戦国武将が多いのはそのせいっぽい
もちろんそれ以外の部分の文字をもらってもいいので、違う文字でも名前でよくある文字だと、当時の主からもらったものの可能性があるっぽい
それを思うと、自称源氏の子孫を名乗ってた徳川家康が持ってた刀の名前が物吉(ものよし)って、偶然だとは思うけどなんかシャレみたいでぃすよね
ちなみに「義」の文字をもらうにはお金が必要で、幕府に500貫以上の献金しないといけなかったっぽい
1貫は現代のお金に換算するとだいたい15万円くらいで、500貫だと7500万円くらいっぽい?
「義」以外の部分の文字をもらう場合は300貫くらいで、現代のお金だと4500万円くらいっぽい
やっぱし世の中はお金でぃすか、柳沢吉保の言うこともあながち間違ってないかも?
ブログ書くネタなんかないかな~
そーいえば、とうらぶの景趣の啓蟄の収穫物は、土筆と八朔と木瓜と白魚だったでぃすね
なんか雑学っぽいことでも書くかな
つくしはメジャー過ぎてみんな知ってるだろーし、そのまま書くのつまんないので、ちょっと変わった感じで書くと
つくしは見た目かわいらしくてよく春の季語とかに使われるっぽいけど、別名で「地獄草」って呼ばれてるっぽい
地獄まで伸びてるんじゃないかってくらい根が深くて駆除しにくい、最強最悪の強害雑草って言われてるので、そー呼ばれるっぽい
見た目はかわいいけど、農家の皆さんには大変な迷惑をかける雑草っぽい
ちなみにつくしの栄養でぃすけど、βカロテン・ビタミンE・ビタミンC・カリウムが入ってるっぽい
100gあたりのβカロテンの量はオクラやブロッコリーと同レベルかそれ以上で、ビタミンEは野菜の中ではトップレベルの含有量っぽい
ただ、チアミナーゼ、アルカロイド、ケイ酸などを含むので、たくさん食べるのはよくないっぽい
チアミナーゼはビタミンB1を破壊しちゃうっぽくて、
このビタミンB1が不足すると起こるのが、いわゆる脚気(かっけ)でぃすね
つくしを山菜として食べる習慣があるのは関東の南から九州の地域までで、北海道・東北・北関東・北陸では食べないっぽい
江戸で脚気が流行したのに、水戸徳川家が脚気知らずなのは豚肉だけじゃなく、土筆を食用にしてるかしてないかの差もあったのかも?
チアミナーゼは十分に加熱すれば大部分はなくなるっぽいけど、不十分な加熱や生食はやめた方がいい感じ
薬として加工された場合の効果は、利尿、去痰、肝炎、膀胱炎、むくみ、膝かぶれ、咳にいいっぽい
土筆の根本のスギナの乾燥葉を、風呂に入れて入浴すると、アトピー性皮膚炎とか漆かぶれを和らげる効果があるっぽい?
ちなみに、猫に魚介類を多く食べさせると腰をぬかす、って言われてるけど
魚介にはチアミナーゼがたくさん入っているので、ビタミンB1欠乏症を起こしてそーなるっぽい
八朔(はっさく)は、1860年の江戸時代に、現在でいう広島県にある、因島の恵日山浄土寺で発見されたっぽい
発見されたのは江戸時代だけど、「はっさく」って名前になったのは1886年の明治時代っぽい
名前は、当時の恵日山浄土寺の住職だった小江恵徳って人が「八朔の時期に食べれそう」みたいに言ったってエピソードがそのまま名前になったっぽい
八朔は、八月朔日が省略された言葉で、旧暦の8月1日(現在の9月)のことっぽい
この時期は穂が実る時期なので、農民の間で初穂を恩人とかに贈る風習があったっぽい
なので田の実節句(たのみのせっく)ともゆーっぽい
この「たのみ」を「頼み」に引っかけて、武家や公家の間で、日頃お世話になっている人に感謝する意味で贈り物をする時期になったっぽい
ここからややこしいんでぃすけど、実は八朔の旬って八朔じゃないっぽい
収穫時期は11~2月の冬の時期なんだけど、収穫してすぐは酸っぱすぎるので、1~2か月熟成させて、3~4月くらいに流通されるっぽい
八朔の栄養分は、柑橘類なので多くのビタミン、特にビタミンCが豊富に含まれてるっぽい
ビタミンCは、免疫力アップで感染症予防や、肌細胞を活性化させる美容効果があるっぽい
八朔の苦み成分のナリンギンは、抗アレルギー効果や血流の改善、生活習慣病の予防や改善、ダイエット効果があるっぽい
でも効き目が強すぎるので、食べすぎると逆に体調が悪くなったり、カロリーはそこそこあるので太るかもなので注意っぽい
木瓜(ぼけ)は、果実が瓜に似ていて、木になる瓜のことを、「木瓜(もけ)」って呼んでて、それが変化して「ぼけ」って呼ばれるようになったっぽい?
所説あるのではっきりしないっぽい
918年に書かれた「本草和名」で、果実の漢名が木瓜(もくか)、和名が毛介(もけ)と書かれてるっぽい?
見た目は梅と似てるけど、花が丸っぽくて枝にトゲがあるのが特徴っぽい
木瓜(もっこう)紋とよく似てるけど、こっちはどーも原型は植物の木瓜とは違うっぽい?
植物の木瓜と同一視する説もあるっぽいけど、有力なのは瓜を輪切りにしたその断面って説や、鳥の巣を図案化したものって言われてるっぽい
でも植物と関係ないとも言えないっぽい?
ちょっと長くなるけど、
大陸の唐という国に、「窠紋(かもん)」ってゆー、官職の人が着る服の布地全体にばーっと並んでる花菱状の模様があって、別名「唐花」とも呼ばれてたっぽい
そのうちの1つを抜き出したのが、日本では簾(すだれ)の帽額(もこう)によく使われてて、
唐花と同じ横置きになってる模様は「木瓜」って言われてたらしくて、
それが合体して、「もこう」の当て字で「木瓜」が使われるようになったっぽい?
しかもそこから、見た目が花っぽいので、花に置き換えられて、花弁が増えたバージョンも増えてバリエーションがいっぱいになってきちゃってややこしいので、
花弁の数4つなのが基本形として木瓜(もっこう)って呼ばれて、
ひとつ増えて5つになると五瓜(ごか)6つでは六瓜(ろくうり・むつか)、8つでは八瓜、って呼び方にしたっぽい?
「五瓜に唐花(ごかにからはな)紋」は京都の八坂神社の神紋のひとつで、
もうひとつの神紋は左三巴で、この左三巴紋は新選組の土方歳三の家紋でもあるっぽい
ちなみに「窠紋(かもん)」の「窠(か)」は地上の鳥の巣を表し、木の上に作られるものは「巣」と呼ばれてたっぽい
山鳥毛の言ってる巣ってこのことなのかな?
たしかに刀剣男士の紋だらけのグッズとかも出てるけど
巣ってことは木の上・・・・まさか、本丸はゲゲゲの鬼太郎ハウスのように木の上にある説?(何
植物の木瓜の効能は、咳止め、疲労回復、低血圧、不眠症、胃腸を整えてくれるっぽい
実を生で食べると、体調不良を起こしちゃうので、果実酒やジャムに加工して食べるといいっぽい
白魚だけど、実は生きてるときは半透明なんでぃすよね
お亡くなりになっちゃうと白くなるので白魚って呼ばれてるっぽい
非常に繊細な魚なので、漁で網から上げて空気にふれるとほとんどがすぐに死んでしまうっぽくて、生きたまま市場に出回ることはほとんどないので、白い姿が印象に残ったのかなって思ったり
昔は日本全国で獲れてたっぽいんだけど、やっぱし例の高度経済成長期で、水質汚染とか、沿岸の開発で産卵できる場所の減少で、数が減少しちゃって値段も昔より高騰してるっぽい
一応旬は冬っぽいけど、年中味が落ちないって言われてるっぽい
でも季語は春なのでややこしいでぃすね
日本では3属4種いるっぽいけど、そのうちアリアケシラウオとアリアケヒメシラウオは絶滅危惧種に指定されてるっぽい
調理方法は、刺身、寿司、天ぷら、煮干し、佃煮、酢の物、吸い物、卵とじ、炊き込みご飯などがあるっぽい
関東では江戸前寿司の最古参に数えられてて、天ぷらの種としても有名で、
歌舞伎にも白魚の漁が出てくるくらい、高度経済成長期以前の関東では白魚は馴染みのものだったっぽい
徳川家康の好物だったって記録も残ってて、昔は春の隅田川でも泳いでたので、江戸の春の風物詩だったっぽい
ちなみに英語だと「Icefish」って呼ばれてるっぽい、なんかかっこいいかも
あーまた文章が長くなっちゃったでぃすね
なんか花丸が劇場三部作になるっぽい
前の劇場版って、たしかアニメの総集編と2期の冒頭がちょっとだけ入ってる感じだったでぃすよね
今度はちゃんと新作っぽい?
前みたいにほとんど総集編で、ちょっとだけ新作アニメ入ってる方式だと、三部作できるほどボリュームないだろーし、期待してもいいっぽい?
長義も出るっぽいでぃすね
ビジュアルも決まってるっぽい
後から追加された刀剣男士の中では人気あるでぃすからね~
演じてる声優さんからプライドの塊でとっつきにくいとか言われてるの草はえる
でも花丸に来たら小夜が萌えキャラになったし、長義もどう頑張ってシリアス展開してもSDキャラ顔の設定された萌えキャラになる気がするかも
てゆーか追加されたグッズですでにちびキャラになってるでぃすね
特花丸ってことは、極花丸もいつかあるのかな?
それまでは清光は極になれない可能性もあるかも
安定がもう極になっちゃったので、清光の修行伸ばしてきそうな気もするんでぃすよね
特命調査も初期刀の中では清光が最後だし
長義が登場するってことは、山姥切国広の方が先に極になる可能性も出てきた感じ
もしくは清光が修行に行って最終回近くまで帰ってこないパターンもあるかもだけど
ネットで極短刀入れない部隊でも周回できるって部隊編成見かけたので試してみた
たしかに進めることは進めるけど、進むごとに戦闘不能になっては回復を繰り返して進むってゆー、なかなか強行軍な感じになったでぃす
極のレベル上げが間に合ってない人向けか、真剣必殺が出まくるので少年漫画展開をやりたい人向けかも
っていっても出来上がるまでに249年くらいかかったっぽいけど
作ったのは光圀が史記に影響を受けたから、とか言われてるけど、
作り始めた時期って明暦の大火があった時期で、幕府が歴史の資料まとめて幕府の公式オフィシャル本を作ろうとしてたのに資料が焼けちゃったっぽいので、それが動機っぽい
「日本書紀」以降、日本の歴史はずっと「編年体」の一種で書かれてたっぽい
「編年体」は、歴史記述する方法の一つで、起こった出来事を年代順に記してくって方法らしいでぃす
古代ローマや中世ヨーロッパの歴史書とかでもよく使われる方法でぃすね
日本はそれが基本だけど、たまに重要人物が亡くなったときに簡単な列伝を添える、ってやり方っぽい
でもこの「大日本記」は、個人や一つの国に関しての情報をまとめて記述する「紀伝体」って方法が使われたっぽい
これは東アジアのごく一部で使われる方法で、この方法を使うのは日本では異例だったっぽい
「大日本記」には反対の人も結構いたっぽい
長年続いてた方法を変えるので反対って人もいたりとか、
光圀が編纂にかかわる人間ばっかし優遇するので文句いう人もいたりとか、
編纂に莫大な金額がかかるので、柳沢吉保に告げ口して、光圀にやめさせるよーに動いた人もいたりとか